2007年04月29日

Keep in touch! 16 10月8日前編

12:00 起床

物凄く寝坊した結果、観ようと思っていた映画を数本逃す。
痛い。


12:30 映画祭本部

朝食にありつこうと映画祭本部に行くと、『single』のカメラマンのタッキーとボランティスタッフのマキちゃんがいる。
駄弁りながらパンとか果物とか、そこらへんにあるものを頂く。
タッキーは夕方にバンクーバーを発つらしい。
んで、タッキーは「俺、帰りたくないよ」と言わんばかりに凹み気味。つーかモロ言っていた気もする。
そんなわけで一緒にバンクーバー散策をすることにする。


14:00 バンクーバー失格

お土産買いたいというタッキーを、とりあえずロブソンストリートに案内。
もう数時間後には帰らなきゃいけないっていう切なさが滲み出ていて、こっちまで悲しくなってくる。
こりゃ、明らかにバンクーバー中毒の症状ですね。
フランス在住のタッキーと映画論とか打つけ合いながら散歩。

で、タッキーとロブソンストリートをウォークダウンしていると、学校帰りの木村さんに遭遇。
しかも、木村さんとタッキーは既に顔見知りらしい!
なんという偶然!
んなわけで、旅は道連れ、3人でバンクーバーの街を散歩する。

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スタンドでホットドックを買い食い。
市街には無数のスタンドがあるわけだが、現地在住でwebでも口コミ情報を収集しているという木村さんのレコメンドのスタンドに行く。
つーか、ホットドックスタンドの口コミサイトなんて、あるんだねえ。

バンクーバーのホットドックは、ソーセージの種類が選べる他に、野菜は好き放題挟めるシステム。
ソーセージが見えなくなるほど野菜を盛って頂く。
美味い!

天気も良いし、あーダラダラ。


17:00 タッキー帰国

そんなわけで、見送る。
またどこかで、会いましょう。

その後、木村さんとお茶してる。


19:00 ターキー喰い逃す

そういえば今夜は感謝祭(カナダでは10月の第2月曜日らしく、この日は日曜ってことで催されたらしい)でターキーパーティがあったのだと慌てて映画祭本部に行くが、既に宴は終了。
余り物でも良いから食べさせてくれとゴネるが、もう片したとのことなので、ビアを数本くすねてスゴスゴと退散。
posted by 井川広太郎 at 19:10| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | バンクーバー旅行記2006 | 更新情報をチェックする

2007年04月27日

エマニュエルの贈りもの

エマニュエルの贈りもの』 2005年/アメリカ/EMMANUEL'S GIFT/

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僕の右足は、翼になった・・・

義足のアスリートが世界を変える!感動のドキュメンタリー
エマニュエルは、右足に障害をもって生まれた。
しかし彼は、障害という自らの現実に目を背けることなく多くの人々に支えられ数々のトライアスロンレースに挑戦。
アスリートとしてガーナのヒーローとなった。
今もガーナに暮らす彼は、母国の路上から物乞いをする障害者がいなくなる日を願い、日々情熱を注いでいる。

エマニュエルの身体的ハンディキャップへの不屈の挑戦は、ガーナ全土の人々を心から感動させ、勇気づけた。
不可能を可能にすることの素晴しさを、身を持って教えてくれたのである。

『エマニュエルの贈りもの』は、生きることへの贈り物なのだ。 ―モハメド・アリ

製作/監督:リサ・ラックス/ナンシー・スターン
出演:エマニュエル・オフォス・エボワ、ジム・マクラーレン、ルディ・ガルシア・トルソン
配給:デジタルサイト

公式サイト http://www.emmanuelsgift.jp/

■6月、渋谷シネマGAGA!ほか全国順次ロードショー


中盤、涙が止まらなかった。
終ってみれば、なんとも爽やかな心地。
物凄く感動した、スゲー良い映画でした。

最近は『ヨコハマメリー』に始まり、『ミリキタニの猫』、そしてこの『エマニュエルの贈りもの』と、素晴らしいドキュメンタリーに出会う機会が多いのだが、どの作品も主人公である被写体達が、誰よりも強く、明るく、そして美しい。

羨ましいほどに!!


この映画でも、なによりエマニュエル自身が非常にポジティブで、全くもってPositive Tensionで、広い視野をもち、人と、人々と、未来のために、国や、体制や、社会の偏見といったものに挑み続ける。

そのポジティブさの由来は、母や、周囲の人たちといった自分を生み出し支えてくれた人々への感謝の気持ちと、そしてこれから生まれて来る人々への愛、つまりは受け受け継いでゆくものへの巨視的な視点と、自分がその一部なんだという謙虚な考え方。

よっぽど我々の方こそが与えられ過ぎることで飼い馴らされ、真実から眼を背けさせられているという事実に、改めて気付かされる。

同情や感傷を誘うようなお涙頂戴のドラマではなく、ただただ生きる喜びに満ち溢れ、その眼差しは美しく、瑞々しい愛に彩られている。



観ると勇気が湧く、元気になれる、俺もやるぜ!ってPositive Tensionになる、素晴らしい映画です。

四の五の言って世界と他人と自分自身をスポイルしているより、こういう映画を観る方がずっと素敵だぜ。
posted by 井川広太郎 at 20:02| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | REVIEW | 更新情報をチェックする

2007年04月16日

『世紀の光』問題 署名のお願い

タイの映画監督であるアピチャッポン・ウィーラセタクン(アピチャートポン表記もあり/Apichatpong Weerasethakul)の新作映画『世紀の光(英題:SYNDROMES AND A CENTURY)』が、同国の映倫の審査を通らず、監督はタイ国内での上映を諦めフィルムの返却を求めたが、同映倫は「該当する4シーンの削除が終了してから返却する」という。

映倫による上映禁止という判断自体は非情に残念ながら世界のどの国でもさほど珍しくもないのだが、フィルムを事実上没収するという行為は、全く理解出来ない。

これに対し、タイのfilm foundationが嘆願書への署名活動を開始しています。

以下、コピペしてありますので、賛同された方は是非、署名の方をお願い致します。

特に我々のような外国からの署名は、非常に有効だと思われます。

国立立法議会 & タイ政府御中

“原題:セーンサタワット”(SYNDROMES AND A CENTURY/世紀の光)が、映倫管理委員会(略して映倫)の審査に通らなかった件に関して、映倫側は、4シーンの削除を条件に、(タイ国内での)上映を認めるとしている。しかし、Apichatpong Weerasethakul監督は、前述の4シーンの削除を認めないという意思表示を明確にするため、タイ国内での商業上映を行わないという結論を出した。その点について、監督は次のようなメッセージを寄せている。

“ひとりの映画人として、私は自分の映画を、息子あるいは娘のように思っている。私が彼らをいったん生み出したら、そこから先の命は、彼らのものである。私は、世間の人々が私の子供を愛してくれるか、あるいは嫌うか、といったことは気にしない。ただし、私は彼らを深い愛情と、産みの苦しみを経て、創造しているのである。だから我が子が、いかなる理由であれ、自分の国に居ることが出来ないのならば、自由にしてやって欲しい。ありのままの彼らを温かく迎えてくれる場所は、他にもあるからだ。システムへの恐れや、欲望のために、彼らを不具にしていい理由など、あってはならない。そうでなければ、芸術作品を産み出し続ける理由など存在しないのではないか。”

 Apichatpongの代理人は、映倫に対し、フィルムを返却するように要請した。その際に、映倫の委員会に対し書面で、タイ国内での商業上映を行わないため、再審査の要請を取り下げる旨を伝えている。しかし、映倫の担当者は、フィルムを元の状態では返却しない可能性が出てきた。担当者は、該当する4シーンの削除が終了してから返却すると回答しているのだ。(この経緯に関しては、http://a-century.exteen.comを参照)
 
 今回の『世紀の光』の事件に関して、各種媒体、特にインターネット上で、様々な意見が表明されている。その殆どが、タイ国映倫の審査システムの横暴さに、全く同意できないという意見である。それは、国民が情報を知る権利と、意見を自由に表明する権利の自由を政府が制限しているシステムと受け止められている。このシステムは、君主制だった仏暦2473年(西暦1930年)に映画法令が施行されて以来今日まで使用されている。

 タイ国で、映画の自由を制限するこのようなシステムが、今日まで変わらずに続いているのは、不思議である。過去30年間においても、映画業界から、民主主義の現状に合わなくなってきた前述の法令の改訂を求める動きが、何度も何度もあったにもかかわらず、成功していないのだ。

  今回の『世紀の光』の事件が起こった仏暦2550年(西暦2007年)は、国家がちょうど新憲法草案を制定する時期にあたる。そこでこれを機会に、私たちタイ国民は、タイの映画人、世界中の映画ファン達と力を合わせ、映画を通じて情報を得たり、自由に意見を表明するという、人間の基本的人権の回復を要求しようではないか。この媒体(映画)だけが、唯一民主主義に即していず、いまだに国家権力という鎖にきつく縛られているのだ。

  今回署名を行う私達は、民主主義制度の下で、基本的人権と尊厳を持った者として、憲法草案委員会に対し、権力の鎖からずいぶん以前に解き放たれている他の媒体、例えば、新聞、ラジオ、テレビなどの他の媒体と同じく、映画も国家権力から権利を制限されることなく自由を持つ媒体として制定されるように、要求しようではないか。

 それは、映画法令、(ビデオ?)テープとTV素材法令を、時代遅れで役立たずのものにし、また、民主主義社会の中で、基本的な権利をベースに、観客の分類を行うような新しい映画の審査システムの構築をするためでもあるのだ。

署名サイト http://www.petitiononline.com/nocut/petition.html

タイ→日訳文出典:タイ映画&アジアな毎日 Thai Movie & Asia Entertainment Diary


簡単に要約すると、「タイにおいては未だに当局が映画を上映するか否かの検閲を一方的に行っているがそれは映画が情報統制されていた時代の名残であり、自由主義の国のようにRatingシステム(あのR-18とかR-15といった年齢によって観客を制限する制度)を伴った法律に改訂して欲しい」という要求です。

上記リンク先ページの一番下段にある「click Here to Sign Petition」というラジオボタンをクリックし、次のページの「NAME」欄に半角英数ローマ字で名前を入力、その下の「Email Address」欄に同様に入力(勿論フリーメールでok)、一個飛ばして「Country」欄にjapanと入力、そのままだと「Emailアドレス非公開設定」になっているので、そのまま「Preview Your Signature」ボタンを押して、次のページで完了です。



カンヌ国際映画祭の審査員賞も受賞し、いまやタイのみならず世界的に最も注目される映画監督であるアピチャッポンは元々、白川幸司監督が親しい友人で、その縁で俺も仲良くしてもらっていた。

そして昨年のバンクーバー国際映画祭で、『東京失格』がノミネートされたドラゴン&タイガーアワードの審査員の一人がアピチャッポンで、驚きの再会。

『東京失格』は受賞を逃したのだけれど、彼は俺の作品を気に入ってくれて、現地では何度も呑んだし、その後も度々メールするようになった。

今回の件を知って昨晩彼にメールしたのだが、やはり現状は好転しておらずこの署名も有用なようなので、ご理解して頂ける方は是非ともご協力をお願い致します。



アピチャッポンが上記声明文の中で言っている、“ひとりの映画人として、私は自分の映画を、息子あるいは娘のように思っている…” という言葉が全てを物語っていると思う。

著作権などと言うとややこしいし、実際そう言ってしまうと複雑な問題が絡んでくるし、俺も色々と考えていることがあるので難しいのだが、単純に、自分が生み出した作品を他人に一方的に操作されるいわれは無いし、同時に誰かにそんな権利も無い。

気に入らないのは仕方ない。だからって、なんで否定しようとするのか。

我が子が、あるいは友人の子供が、そんな暴力に晒されているのに黙って眼をつぶっていられるわけは無い。



実は俺も最近、ここまで極端ではないが似たような状況に合い、非常に辛い思いをした。

それは些細な間違いであったし既に解決したのだが、だからこそアピチャッピンの苦境も良く分かる。



ちなみに俺はバンクーバーで『SYNDROMES AND A CENTURY』を観たが、極めて映画的な映画であり、音楽のような官能が持続し、タイという国への愛情に満ち溢れてはいるが、一体どこを削除すべきか全く思い当たらない。


5月にアピチャッポンが日本に来るって。
その頃には全てが解決していて楽しく呑めることを願います。
posted by 井川広太郎 at 12:10| 東京 🌁| Comment(3) | TrackBack(1) | lost in blog | 更新情報をチェックする

2007年04月15日

第9回バルセロナアジア映画祭にて上映

『東京失格』が今月末からスペインのバルセロナで開催される第9回バルセロナアジア映画祭にて上映されます。

バルサ!リーガも最高潮の中、憧れの地であるバルセロナで自分の映画が上映されるなんて、なんて不思議な気分なのでしょう。

デコやガウショが観に来るかもしれません。それは冗談としても、自分の代わりに作品が世界の人々に挨拶してきてくれるような、そんな感じ。

非常に惜しいのですが、本当に非情にも、俺は残念ながら現地に行けないわけなのですが、スペイン、そしてカタルーニャの人々にどう観られるのか、考えただけでドキドキします。
いや、やっぱ行きたいなあ、おい…


因に、日本からの招待作品は以下の五本のようです。
「ルック・オブ・ラブ」植岡嘉晴 2006
「東京失格」井川広太郎 2006
「ゆれる」西川美和 2006
「無花果の顔」桃井かおり 2006
「世界はときどき美しい」禦法川修 2006


ともあれ、『東京失格』5カ国目となる第9回バルセロナアジア映画祭での上映、本当に楽しみです!

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posted by 井川広太郎 at 14:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京失格 | 更新情報をチェックする

2007年04月14日

世界はときどき美しい

世界はときどき美しい Life can be so wonderful

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Staff
監督:御法川 修
脚本:御法川 修   プロデューサー:西 健二郎   企画:長澤秀俊   製作:棚橋淳一/中島 仁/長田安正   撮影:芦澤明子   録音:森 英司   音響:高木 創   音楽監修:大木雄高   主題歌:鈴木慶江(東芝EMI)

Cast
松田龍平/市川実日子/片山 瞳/松田美由紀/柄本 明

Story
ふとしたきっかけで出会う美しい瞬間があるから、ひとりの自分にもやさしくなれる。強くなれる…。
傷つき、かじかんでしまった心に、やわらかな光をそそぎ込む奇跡の映像詩。かけがえのない一瞬を積み重ねる人生を、5つの変奏によってつづる。
語りべとなる主人公たちには、松田龍平・市川実日子・片山瞳・松田美由紀・柄本明ら豪華な顔ぶれがそろい、これまでのキャリアが結晶したような慎み深い演技で魅力を香り立たせている。
イノセンスに満ちた儚い映像と、世界的なオペラ歌手・鈴木慶江の歌声が美しく結び合い、観るものを澄みきったやさしさで包み込む。 
映像作家と呼ぶべき風格をたたえた新鋭・御法川修の監督デビュー作。


渋谷ユーロスペースにて連日21:10より(土日祝日は9:50もアリ)絶賛公開中


いやー、素晴らしい作品でした。

傑作。この作品こそ傑作と呼ぶべきなのだろうが、この作品は傑作と呼ぶことすらためらわれる気もする。


それこそ先付けやクレジットなどの冒頭から、実に丁寧に、繊細に、信じられないほど隅々まで気を配った演出に圧倒される。

本当に演技の一瞬一瞬、カットの一つ一つ、音の先から広がりまで、数百年前の芸術作品に触れるような鋭さと暖かさと優しさに満ち溢れている。

なんという贅沢!

そう、こういう映画こそ、贅沢な映画だと思う。



金とか、時間とか、知名度とか、比較して云々というようなケチ臭い次元ではなく、作品がどんなに想いを込められ、つまりは創り手に愛されて生まれてきたのか、それはやはり作品そのものに溢れているし、それを観るという行為はまた、そういう優しさに包まれるような至福になのである。



観ている間、ずっとドキドキしていた。

生まれてくる命がゆっくりとこうべをもち上げるような、そんなキラキラ光った美しさに酔いしれていた。



映画を創る時には、誰もまだ観ぬ作品を信じて、脚本から現場、編集まで全てにおいて常に判断を下さなければならない。

その判断を下すのが監督の仕事なのだが、そうするためには、自分の表現したいことを明確にし、自分の思い描く作品を信じ、そしてそれを人に伝えなければならない。

つまりは強い信念と自信と表現力が無ければ出来ないのだが、そういったものがこの作品を成り立たせているのがその端々まであまりに繊細な時間から否応無く伝わってくるし、それが即ち、この作品の強さと美しさなのだと思う。



この映画は5部構成になっているのだが、そのうちの第1部を数年前に上映会で観ていた。

その時も素晴らしい映像に驚愕し、なんと愛された贅沢な作品なんだと感動したのだが、驚くべきことに、数年の製作期間を経て5部構成の長編として生まれ変わってから、さらに素晴らしい作品になっているのだ。

それだけでも、如何に監督がこの作品を信じ、思い描き、丁寧に取り組んできたのかが良く分かる。

技術は勿論、映像も、言葉も、恐らくは最も大事にしている感情や感性、そして感動に至るまで、創り手の全てが惜しみなく捧げられた『世界はときどき美しい』という映画は、観るものにも素敵な時間を与えてくれる。



この作品が合わず好きじゃないという人がいるとしても、この素晴らしく贅沢な時間は決して後悔しないと思う。あたかも、無駄な人生経験なんて存在しないようにね。

こういった作品を劇場で観られるという贅沢は、必ず人生を豊かにしてくれる。

是非とも劇場で観ることを強くお勧めします。

最高の70分間を。
posted by 井川広太郎 at 22:36| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(3) | lost in blog | 更新情報をチェックする