2007年11月30日

ぜんぶ、フィデルのせい

ぜんぶ、フィデルのせい 』 2006/フランス/99分/原題:La Faute a` Fidel/配給:ショウゲート

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激動の1970年代、フランス・パリを舞台にキュートな仏頂面で大人にぶつかる小さなヒロインと家族の温かな絆を描いた感動作が誕生しました。


やっぱり大人は判ってくれない


パパは弁護士 ママは雑誌記者 可愛い弟
お嬢様学校に通い、バカンスはボルドーで
可愛いワンピースと上品な食事
大好きなものに囲まれて、
完璧に調和がとれていたアンナの毎日
ところが…

監督・脚本:ジュリー・ガヴラス
出演:ニナ・ケルヴェル/ジュリー・ドパルドゥー/ステファノ・アコルシ/バンジャマン・フイエ

2008年正月第二弾 小さな革命が起こる!
作品公式サイト http://fidel.jp/


曰く、映画にはですね、予備知識なしで観る愉しみというのがある。
基本的には俺はそういったものにあまり関心が無いのだが、その味わいをこの作品で堪能してしまった。

というわけで、俺はそういった楽しみを今まさに奪っているとも言える。

ので、それが嫌な方はこれより上も下も読まないことをオススメします。



タイトルと、どうやら女の子が主演の映画らしいとしか知らずにいたのだが、キャッチコピーに爆笑。

「やっぱり大人は判ってくれない」って!!

その手があったかー。

にしてもフィデルって変な名前の女の子だなフェデルの間違いじゃないのと思いながら観始めたら、女の子の名前はアンナと判明。

ってことは…フィデルって、そのまんまフィデル・カストロかよ!というわけで一気にテンションが上がる。

モチーフも舞台設定も、共産主義闘争真っただ中なのだが、飽くまでこの映画の主眼はヒロインの女の子であるアンナ。

思想や革命なんかより、パパとママと一緒に家族幸せでいたいというアンナの孤独な闘争こそが物語なのである。

「キョーサン主義って何よ!」というアンナの一喝は、「ダイジなシゴトって何よ!」「セッタイごるふって何よ!」「キョーギ離婚って何よ!」というあらゆる時代や文化や地域で発生し得る「大人の事情」に置き換えられるわけである。

それは、思想や革命や大人の事情なんかよりも、ややとして現実なんかよりも重い「子供のジジョー」という論理である。

ところで字幕では「キョーサン主義」という見事な翻訳がなされていたが、台詞のフランス語では「共産主義だか何だか」という風に言っていたような気がする。(多分)
それを「キョーサン主義」とカタカナを使って訳すの、素晴らしい!
カタカナすげー
「キョーサン主義」っていう字面で、もう、色々と表現されちゃってる。

しかし、そこには、映画で文字を読むとは何よ?という違和感も残るわけで。

それで言うと冒頭に、日本語で時代背景などを解説する字幕が表示されるのだが、その違和感共々、そういった知識の有無はこの映画においても問題ではない。

アンナは共産主義が理解出来ないだけで「キョーサン主義って何よ!」と言っているのではなく、そういった事情や言葉で片付けられ、大人の都合を押し付けられ、対話が拒否されるのが嫌なのだ。

だからアンナは、キョーサン主義について学ぼうとするし、五月革命について聞くし、チリがどこかも調べる。

観客もアンナと同じ目線で、なんだか難しい話をしているが例え不可解であってもそれでも愛する両親だからこそ知りたいし一緒に居たい、と思えて初めてハッピーな映画であり、そこに知識の壁なんてあってはならない。

我々は無知だから知ろうとする。

にも関わらず、「それは間違いよ!」なんて一方的に言われたら、それではコミュニケーションもエデュケーションも成り立たないのだ。

アンナの闘争とは、そういった一元的な価値観の押し付けに対する我が闘争なのである。



なんてことはどうでも良くなるくらいに、子供達が可愛くて仕方がない。

アンナはファーストカットのクローズアップで、もはやスター以外には有り得ない静謐をその愛らしい眉にこしらえてみせる。

その佇まいは既に映画スターでありながら、これでもかってぐらいに子供で、魅力的で、可愛くて可愛くて仕方が無い。

同時に、弟がこれまた筆舌に尽くしがたい可愛さで、途方も無い無邪気さがほとばしる様はこれこそが映画の奇跡だと叫びたくなるほどで、アンナでなくとも面倒を見たくなってしまう。

つまり、子役を使いこなすのが演出の神髄の一つなのであって、だから溝口も、ケアロスタミも、相米も…ということすら問答無用な可愛さである。

間違いなく、カワイイは正義なのだ。

子供が居た人なら孫が欲しくなり、子供が居る人ならさらに愛情深くなり、子供が居ない人は悶絶するほか無い、そんな映画である。

あんな可愛い子供達に困難を強いるなんて、あの両親はどうかしている。



だけど俺はまあ、子供はなかなか難しそうだから、せめてフランス語が話せるようになりたくなったよ、この映画を観て。
posted by 井川広太郎 at 01:47| Comment(0) | TrackBack(2) | REVIEW | 更新情報をチェックする

2007年11月29日

韓国からの旅人

もう一ヶ月も前の話ですね。

友人である韓国の映画監督のキム・キヒョンが10月末から11月の始めまで来日していた。

彼は来年製作される日中韓共同・横浜開港150周年記念映画の韓国編を監督することになっていて、その企画お披露目を兼ねたシンポジウムが行われていたのだ。

んで、横浜にて、キヒョンや彼の師匠にあたる韓国フィルムアカデミー院長さんなどなどと朝まで痛飲。

韓国人、スゴイ。

よく呑むのは知っていたが、寿司喰ってたらワサビが足りないとか言い出して、小皿に山盛りのワサビを貰いそれをバクバク食べて、それでも足りないとか言い出す。

ワサビと唐辛子の辛さは違うと思うけどな。


それから数日後、再びキヒョンと横浜で呑む。

その日中韓映画の参考のために横浜について知りたいと言うキヒョンを案内しつつ、俺だけでは不案内だし折角なので横浜について詳しい『ヨコハマメリー』の中村高寛監督もお誘いし、朝まで痛飲。

中村さん、マジで横浜の地理や歴史について詳しくて、日本人の(つーか実は生まれは横浜で茅ヶ崎で育ち浪人中は横浜通いだった)俺でも全く知らないことばかりでマジで勉強になりました。

色んな呑み屋に連れてってもらって、深夜に夜景が綺麗な公園で皆で呑んで、本当にオモロかったです。


んで、キヒョンはその後、シナハンの為に東京に滞在。

彼の映画には日本人の若者が登場する予定で、そのイメージを広げるために東京中を一人で回っていた。

滞在最終日に再び会って、神楽坂から九段下、そして神保町辺りを案内。

神保町ではキヒョンが大好きなホウ・シャオシェン監督の『珈琲時光』のロケ地を巡る。

ロケ先では色々とホウ・シャオシェンの現場の様子を聞かせて頂いて大変に興味深く有り難かったのだが、ロケ先の人々が「今までも何人も外人が尋ねてきたが、なんでか理解出来ない」と不思議がっていた。


それからキヒョンを羽田まで送る。

海沿いのモノレールの光景を大変に気に入っていた。

バンクーバーで出会って、ソウルで再会して、今回は東京。

この次はどこで会えるのだろうかね。
posted by 井川広太郎 at 23:57| Comment(4) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする

2007年11月09日

ユゴ 大統領有故

ユゴ 大統領有故』 2005年/韓国/104分/英題:The President’s Last Bang/韓国語題:その時、その人々/配給:エスピーオー

事実こそ最高のエンタテインメント!
韓国現代史上、最も衝撃的な1日が動き出す―
<パク・チョンヒ(朴正煕)大統領暗殺=有故(ユゴ)>

1979年10月26日事件発生から28年― 封印された暗殺前後の24時間を完全映画化。
カンヌ、トロント、ニューヨーク…世界が今、その時を目撃する!

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韓国中央情報部のチュ課長は、大統領への女性の手配やその尻拭いの仕事に嫌気が差していた。そのころ大統領の周りでは、キム中央情報部長とチャ大統領警護室長が、大統領への忠誠心争いで対立していた。宴会の席でチャ室長に罵倒されたキム部長は、かねてから考えていた暗殺を決意。腹心のチュ課長とミン大佐に、発砲と同時に大統領の警護員たちを撃つよう指示する…

韓国公開直前、元大統領の遺族が上映禁止を裁判所に訴え、現在も係争中。
そして2007年12月19日、韓国第17代大統領選挙実施を目前に日本公開決定!

脚本/監督:イム・サンス『浮気な家族』
撮影:キム・ウヒョン『浮気な家族』
出演:ハン・ソッキュ『シュリ』/ペク・ユンシク『地球を守れ!』/ソン・ジェホ『殺人の追憶』

12月15日(土)よりシネマート六本木ほか、全国ロードショー
作品公式サイト http://www.cinemart.co.jp/yugo/


面白かったです。

テクニカルな作劇が冴え渡り、例えば緊張感をギリギリまで溜め込む銃撃でのカット割りなどの技術が秀逸。

見せるとこは丁寧にしつつ端折るとこはすっ飛ばし、重さの後には軽さを、説明すべきとこか否かの潔さも明確で、というように構成も見事で、長さを感じさせない充実感に満ちていました。

陰影に富んだ映像も相成り、アクション映画として隙のないクオリティもさることながら、”史実”を扱いながらも、亊あるごとに挿入される「これはセットで撮られた映画です!」という強烈なメッセージを前面に打ち出した映像が、飽くまでフィクション映画として大胆に成立させているという宣言であり、その腕力が際立っていましました。

対象が何であろうとカメラを向けた瞬間に意図や意思といったものが内外問わずそこらじゅうに生まれてしまうわけで、その意味で映画とは常に事実と真実の境目は何かという命題に直面してしまうのだが、つまりはそういった在り方としては至極当たり前のことを踏まえつつ映画という共犯的な行為を大上段から楽しむ冒険がこの作品からは感じられた。

映画は映画である時点で既に事件なのである。

最近特に、良し悪しとかよく分からんのだけれどね。

面白かったです。
posted by 井川広太郎 at 00:50| Comment(2) | TrackBack(0) | REVIEW | 更新情報をチェックする

2007年11月08日

諏訪さんの授業に参加

先日、諏訪敦彦監督が教授を務める東京造形大学の映画表現の講義にゲストとして参加させて頂きました。

諏訪さんには7月のCinema Digital Seoul 2007でお会いし、その後東京に帰ってからも色々とお話をさせて頂き、今回の運びとなりました。

何と言っても学生時代に観た諏訪さんの『M/OTHER』は最も刺激を受けた作品の一つなので、俺にとっては一緒にお話しする機会を与えて頂いただけで光栄ですし、緊張ものなのです。

しかし、行きの電車の中で、実は昨年8月の劇場公開以来、『東京失格』を日本で上映するのは一年以上ぶりということに気付いて、そのことにも緊張し始める。

造形大学に行ったのは初めてだったのだが、自然に恵まれた山の中にあるぽつんとある雰囲気が俺が通っていた高校に似ていて、なんか懐かしくもなった。

授業は二コマぶち抜きの180分間行われ、まず最初に『東京失格』を上映し、その後、諏訪さん進行でのティーチイン。

主に即興を踏まえた演出論、映画論の話になり、やっぱこういう場で言葉にするのは難しく、俺は相変わらずダラダラと長く話してしまうのだが、いやー、諏訪さんのお話はマジで勉強になります。

こんな素晴らしい環境で毎日勉強出来る学生が羨ましかったです。

俺は大学で映画を学んだので矢張り特別な思いがあり、いつか大学で映画を教えたいという願望が改めて強くなりました。

授業の後は、諏訪さんや学生と一緒に呑みました。

この一年間は機会が無かったけど、またどんな形であれ国内で上映することが出来たら良いな。
posted by 井川広太郎 at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする