2008年10月31日

マスコットキャラクターとは何か

ちょっと前から実装したので既に気付いている方もいるかもしれませんが、このLost in BlogにオリジナルのFavicon(ファビコン)を付けました。

Faviconとはアドレスバーの左側にある小さなアイコンで、このblogのFaviconは小さくて見難いですが「タックン君とたかちゃん君」です。

←この人達が「タックン君とたかちゃん君」。

俺がbookmarkしているblogの中でオリジナルFaviconを付けている人が多い事に気付き、なんとなく真似したくなりました。

しかしこのBlogの性質上、ピッタリのロゴとかマークとか無いんだよなと思案していたところ、「タックン君とたかちゃん君」に白羽の矢が立ったという次第であります。

この「タックン君とたかちゃん君」は、ただのヘタクソな落書きじゃんと言われたらそれまでなのですが、描いた自分としては結構気に入っていて、人気者になっちゃったらどうしようとか当初はドキムネしていました。

しかし、デビューしてから半年ほど経ちますが、今のところ全く人気がありません。

誰も「タックン君とたかちゃん君」について触れず、話題にのぼった事すらありません。

あ、一回だけ、「タックン君とたかちゃん君」のモデルの人との会話で5秒間だけ話題になりました。

それこっきりです。

可哀想です。

なので、「タックン君とたかちゃん君」にはFaviconという役割を担ってもらう事にしました。

是非、マスコットキャラクターとしての職務を誠心誠意遂行してもらいたいものです。



さて、そんな感じでマスコットキャラクターが大好きな俺っていう話をしようかと思っていましたが、物凄く長くなりそうなので止めました。

取り敢えず、一番好きなのはキングベルです。

んで、昨日、ついに、キングベルの次に好きな、あのマスコットキャラクターに出会ってしまったのです!
posted by 井川広太郎 at 21:54| Comment(2) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする

2008年10月28日

懺悔

懺悔』 1984年/ソビエト連邦(グルジア)/2時間33分/英題:REPENTANCE/配給:ザジフィルムズ

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旧ソビエト連邦の厳格な検閲の下、グルジア共和国で製作された本作は、1984年12月に完成。86年10月、グルジアの首都トリビシでようやく公開された。観る者に1937年のスターリン書記長による大粛清を想起させる内容は、その時代を真正面から批判した映画として、全世界の注目を集めた。その翌年1月モスクワで一般公開された際は、最初の10日間だけで実に70万人以上を動員したという。

ペレストロイカ(改革)の象徴となった、
ソ連邦崩壊前夜の伝説的映画。
20余年間の沈黙を経て、遂に日本公開!

物語は、架空の地方都市で一人の女性ケテヴァンが教会をかたどったケーキを並べるシーンから始まる。傍らにいた客の男が新聞を広げて「偉大な男が死んだ」と叫ぶ。「偉大な男」とは、その街で長く市長として権力を振るっていた男ヴァルラム。ケテヴァンにとっては、かつて両親を粛清した上に殺害し、彼女の人生を大きく狂わせた張本人だった。そしてケテヴァンの回想をとおして、ヴァルラムへの告発と、独裁政権下の粛清によって彼女の家族や市民が辿った苦難の道のりが、ときに幻想的に、力強く描かれてゆく―。

監督・脚本: テンギズ・アブラゼ
★1987年カンヌ国際映画祭審査員特別大賞・国際批評家連盟賞・キリスト教審査員賞
★1987年シカゴ国際映画祭審査員特別賞
★1988年NIKA賞(ソ連アカデミー賞)作品賞・監督賞・主演男優賞・撮影賞・脚本賞・美術賞

作品公式サイト(予告編あり)http://www.zaziefilms.com/zange/

12月20日(土)より、岩波ホールにて新春ロードショー!


製作された状況も、語られる物語も、そして上映を巡る歴史も熾烈であり、こういった映画が生まれた政治的な状況というものに関心は絶えない。しかし、この映画は例えばそういった隠喩や暗喩を読み解く知識が無いと楽しめないようなケチ臭い映画なのかというと、全くの正反対なのである。

この『懺悔』は映画的な喜びに満ち溢れ、2時間33分という長尺を全く感じさせない。全てのシーンにおいて映画であることを満喫するような解放感に満ち溢れていて、つまりは人生を謳歌するようであり、まるで愛の讃歌のようですらある。

例えば、独裁者が演説をするシーン。見るからに独裁者が、階上から市民を見下ろしながら演説しているのだが、あいにく、側の道路で水道管工事をしている。まず、ここで爆笑である。さらに、案の定、その水道管が破裂し、辺り一面に水が飛び散る。慌てて作業員が水を止めようとするが、なかなか上手くいかない。独裁者にも容赦ない量の水がびしゃびしゃとかかる。しかし、演説は粛々として続けられる。秘書官は水を浴びながら必死にタイプライターを打つ。ずぶ濡れになりながら独裁者は意気揚々と演説する滑稽さ。といった塩梅である。これが笑わずにいられるだろうか。

思えばオープニングのシーンで、あの教会をかたどったケーキの眩いばかりの瑞々しさと、そこから連なる映画的な広がりの美しさに、全く溜め息とよだれが止まらないのである。そして、そのさらに前のオープニングクレジットのカッコ良さ!グルジア語であって、言語と判別することも際どい程なのだが、全く読めず意味も分からないその文字に、猛烈な意志の強さを感じずにはいられなかった。我々の言葉で語る!その意志の強さはまさに映画自身にも表れていたわけだが、それであのラストシーン、ラストカットである。これこそが映画だ!もはや問答無用なのである。

以上を要約すると、物凄く面白い映画だった。面白すぎてビックリした。いや、本当に面白い、最高の映画でした。
posted by 井川広太郎 at 22:45| Comment(2) | TrackBack(0) | REVIEW | 更新情報をチェックする

2008年10月26日

自己紹介して笑われるの巻

こんにちは。
先日、ある人に会った時に「『東京失格』の井川監督です」って紹介されました。
なので俺は、「『東京失格』の井川です」って挨拶しました。
普通ですよね。
とっても普通。
そしたら別の人が「東京失格の井川さんなんだ」と笑いました。

しばらく意味が分からなかったけど、言われてみると、確かに可笑しい。
「東京失格の井川」
どんな自己紹介なんだよ。

今まで俺の脳内では当然のように「『東京失格』の井川」であったから何の疑いも無かったのだが、音だけ聞いてみれば、何ともおかしな自己紹介である。
まさか自分の映画のタイトルがこんな側面も持ち合わせているとは全く発想すらしなかった。
『東京失格』って、めちゃんこカッコいいタイトルだと思っていたのにな。
いや、そうなんだけどさ。
でも、なんだかなあ。

この法則を活用すると、例えば以下のような事態も考えられる。
「『地球外生物』の井川です」
「『いま、なんとなく切ない気持ち』の井川です」
「『アタシ的にはギリギリ合格ライン』の井川です」
「『ハニートラップ』の井川です」
「『指名手配犯』の井川です」
「『北極在住』の井川です」
「『ちょっとイタターな女の子』の井川です」


今後、自分の映画のタイトルは、自己紹介の時のことも考えてつけた方が良いのだろうか。

「『東京失格』の井川です」

ふむ。
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2008年10月25日

原点回帰、なのかもしれない

というわけで今日は、横浜ジャック&ベティでの台湾シネマウィークの初日に観に行く。

五年ぶりぐらいに観たホウ・シャオシェンの『ミレニアム・マンボ』が最高すぎて何も言えねえ。
やっぱホウ先生あっての俺だなあと原点回帰したような気持ちになる。
俺は一巡したのかな。
こうなると『恋々風塵』もまた劇場で観たくなる。
どこかの映画館でやらないかな。

戦時中に日本で軍事産業に携わっていた台湾の少年達を追うドキュメンタリー『緑の海平線』も興味深かった。
台湾シネマウィークは31日まで。
この機会に是非!
posted by 井川広太郎 at 23:36| Comment(2) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする

2008年10月24日

カメラを持った女

こんにちは。
俺は何かタイトルになるような言葉やフレーズを思い浮かぶと、とりあえずググって先例がないかどうかをチェックします。

例えば、こないだも良いタイトル思いついたーと思ってググったら、既にBlogの記事のタイトルにしている奴がいた。
くっそーっ抜け目ない奴!と思ってよく見たら、このBlogだった。
ビビった。

そんなんで、ふと、「カメラを持った女」ってカッコええと思いつきました。
暫くしてから、これってジガ・ヴェルトフのパクリじゃん!と気付き、ますますカッコいくて惚れ込む。
でも、ジガ・ヴェルトフのパロディぐらい誰か先にしているだろうなと半ば諦めつつググったら、やっぱある分にはある。
でも、映画などの作品名としては無いみたい。
まあ、俺は別に「カメラを持った女」をタイトルで使うつもりはないけど。

とかショボクレて考えていたら、「カメラを持った女」とはそもそも俺が10年ぐらい構想している企画のことであると思い出した。
タイトルは別だけど、カメラを持った女の映画。
その企画は学生時代から温めていて、今までも何度か脚本を書こうと試みたがいつも頓挫し、未熟な俺にはとても手に負える企画ではないなあとじっくり時間をかけて構想し続けているもの。
今年もあっちゅー間にもう終わってしまいそうな気配だけれど、春ぐらいまでを目処に頑張って執筆してみようかしらと、思った。
また、挫折するかもしれないけど。
そんな感じで。
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2008年10月17日

台湾電影週間

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 10/25(土)〜10/31(金)は傑作映画を通じて台湾文化に触れる1週間

 <台湾シネマ・ウィーク2008 in 横浜シネマ・ジャック&ベティ>




ホウ・シャオシェン監督2本立て上映、10/25(土)〜10/31(金)@ジャック
悲情城市』ホウ・シャオシェン監督の名を世界に知らしめた歴史叙事詩
ミレニアム・マンボ』愛される一瞬が彼女(わたし)のすべてになる。

10/25(土)〜10/31(金)@ベティ
緑の海平線 台湾少年工の物語』台湾と日本の知られざる歴史に迫る傑作ドキュメンタリー!
練習曲』『悲情城市』の名カメラマン初監督作品にして台湾07年No.1ヒット作
乾杯』実在する焼肉屋「乾杯」で繰り広げられる青春群像劇。劇場初公開!

詳細はシネマ・ジャック&ベティ公式サイト http://www.jackandbetty.net/


まあ、そんな感じで7月の黄金町映画祭でもお世話になった横浜シネマ・ジャック&ベティで、台湾シネマ・ウィーク2008と題された特集上映が催されるようです。

ホウ・シャオシェンの『悲情城市』と『ミレニアム・マンボ』が上映されるようです。

この機会は逃しちゃいけません。

映画史上屈指の名作なんて形容すら陳腐に聞こえる『悲情城市』をまたスクリーンで観られるってことは、いや、嬉しいことです。

人生を感じさせる映画、ではなく、本当に人生が映っちゃってるっつーか人生そのものな映画ってのがこの世にはあって、ジョン・フォードの『わが谷は緑なりき』とかルノアールの『フレンチ・カンカン』とかもそうだけど、スクリーンに向かって「終わらないでくれ!」と叫びたくなっちゃう映画の一つ。

そして『ミレニアム・マンボ』は個人的に一番好きなホウ・シャオシェン作品であり、2003年にシブヤ・シネマ・ソサエティでこの映画を観た瞬間が『東京失格』が本当の意味で俺の中で動き始めた時なんじゃないかと思っちゃったりするぐらい好き。

この二本でも贅沢なのに、他ではなかなか観る機会が無い現代台湾映画の三作品も上映される。

三本とも、紹介文を読むと非常に面白そうで観たくて仕方が無いし、ホウ・シャオシェンや他の作品と併せることでまた一層楽しめ、この機会ならではの見方ができるに違いない。



地域で括られた特集上映で幾つかの作品をまとめて見ると、その国や、街や、時代が、ぼんやりと蜃気楼のように浮き上がってくるような気がする。

そこに行ったことは無くとも、その映画たちが自分の体験となって身体に残る。

一本の映画でも勿論そういった感覚に浸ることは多々あるのだけれど、特集上映でのそれはまた格別だ。

点と点が繋がって線となり、線と線が面を織りなし、面と面が空間を生み出していくような立体感。

昔は特集上映に足繁く通ったのだが、三百人劇場での台湾映画祭でキン・フーを観た後に地下の売店で嗅いだ点心の香りは、一生忘れられない。
posted by 井川広太郎 at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする

2008年10月16日

僕の小規模な生活

こんにちは。
福満しげゆきの漫画が面白いです。

モーニングで『僕の小規模な生活』が不定期掲載されている頃から時々その他の連載も読んでいたのだと思うのだけれど、最近になって幾つかの単行本をまとめて読み直して、やっぱり面白い。

簡単に紹介すると、「売れない漫画家」が
『僕の小規模な失敗』は高校入学から妻と結婚するまで(全一巻)、
『僕の小規模な生活』は結婚後、妻に支えられ漫画を描き現在(連載中)、
『うちの妻ってどうでしょう?』は仕事が入り始めた頃からの日常(連載中)、
といった感じのフィクションとは言いつつ自伝的な要素の強い漫画である。

現代版「まんが道」なんて形容されることも多い。

「売れない漫画家」が妻の収入に頼りながら、もがき苦しみ「まんが道」を歩む『僕の小規模な生活』の一巻がずば抜けて面白い。

何事にも屈折し卑屈で自虐的な主人公と、非常に個性的な妻との遣り取りとが秀逸である。

内向的で、自己愛に富み、自己完結的な閉鎖性を持った主人公は非常に現代的な若者像であり、対して妻の大らかさ、感情の起伏の激しさ、それと同時に夫を支える堅実さもあるいは極端に現代的な女性像の一つであり、この二人の一見幼稚でモロく、しかしすこぶる対等な不思議な関係性は、読んでいるだけでドキハラの連続、手に汗握るサスペンスなのである。

いや、自分で何言っているのか分からないな。

とにかく、面白いです○

おしまい





以下、ネタバレ注意報

しかし、当初は「売れない漫画家」であることが主人公の「駄目さ」の象徴であったのだが、実際に彼は売れっ子漫画家になってしまい、自然と『僕の小規模な生活』の中の主人公も売れっ子になってゆく。

これでこの漫画がツマラナクなる可能性を怖れていたわけだが、嬉しいことに、売れっ子になってからの彼の日常も相変わらずに面白いのである。(いや、この漫画をリアルに読んでいると、勿論、主人公が売れることを願って止まないわけなのだが、一読者からするとモーニングで連載している時点で売れっ子の域なのであり、つまりは読んだ時点では描かれていた日常は遥か過去と解釈していたのである)

そこでハタと気付く。

実は、この漫画の肝要は、主人公の(売れていないという)悲惨さではなく、主人公の内向的なキャラクター、あるいはその漫画表現にあるのである。

例えば、モーニング誌の次号予告のページなどにおいても、主人公(と妻)がスポークスマン的な役割を担ったりもするのは、彼らが愛されるキャラクターとして確立されている証に他ならない。

売れない、生活が辛い、妻に頭があがらないという状況から来る独特の心理状況や環境の面白味が、それまで作品を引っ張ってきた起爆剤であることには間違いが無いと思うのだが、他方で、それらを失っても何ら変わることの無い推進力が、福満しげゆきの漫画にはあるのである。

『僕の小規模な失敗』では、社会に適応も出来ない駄目な高校、大学、そしてフリーターとしての日常が大分自虐的で暗いトーンで描かれている。

しかし主人公は、せっせと漫画を描き、柔道部を創設し、多数のバイトをして、学校に編入したり、漫画を投稿し、ストーキングして、自分ことを客観的に分析できているし、ボクシングするし、漫画を出版社に持ち込みし、駆け落ちし、妻と結婚する。

俺などから見たら社会に適応しまくっているし、スーパーマンのような活躍ぶりである。

作者自身も言っているように自虐的なのは「性格の問題」であって、それとは裏腹な行動力には目を見張るものがある。



でだ、その辺りの特徴が『僕の小規模な生活』の漫画表現には見て取れる。

因に、この漫画家は、作品ごとでも作中でも絵のタッチが大分変わっていっている。

のだが、『僕の小規模な生活』で確立された特筆すべき描写は、主人公と妻が日ながら相対する漫画編集者や漫画関係者がほとんど、後ろ姿で描かれている点である。

他の登場人物でも、その多くが顔が描かれずに後ろ姿のみになる。

理由は色々と邪推出来るがそれはともかく、結果、主人公と妻がほとんどのコマに描かれることになり、同時に他の登場人物は没個性あるいは背景か狂言回しに過ぎず、漫画としては読者は常に主人公と相対する状態になり、さらに主人公の物凄く多い独白と相成り、これが独特の閉鎖性を生み出している。

そう、まさに『トゥールーマンショー』である。

この箱庭的な閉鎖性を漫画表現で持っていることこそが、主人公の内向的で、自己愛に富み、自己完結的な閉鎖性を生み出しており、福満しげゆきの漫画が持つ現代的な自虐性の表れである、と俺は思ったりする。

だから、彼の漫画の主人公は、どんなに売れようが人気があろうが、屈折して卑屈であることが出来る。

ハッキリ言って、そこに物凄く共感しちゃう。

というよりもシツコク言ってはいるが、現代の本質の一面だと思う。



そういった社会的にも鋭い視座を内包しつつ、彼の漫画がゲラゲラと笑える大らかさを失わないのは、一点、妻の存在であろうか。

であるから、『僕の小規模な失敗』で結婚した後の『僕の小規模な生活』が上記のような漫画表現を獲得したのも、妻と暮らすことでまさに二人だけの空間、箱庭を獲得したからと言えるのかもしれない。

これまた、現代的である。

いや、現代を通り越したメルヘンのようですらある。

まるで『ミニーとモスコウィッツ』である。

素敵だ。

そんなわけで、現代や社会という荒波にこの小さな箱船が呑み込まれてしまわないないよう、主人公と妻が幾久しく幸多からんことを願って止まないのであり、これからも刮目の上で注視していく所存なのである。
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2008年10月14日

Happiness
















                  





 
   あ


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2008年10月12日

結婚とは何か

こんにちは。
今日は中高の同期の結婚パーティーでした。
素晴らしかったです。

今日のパーティーでの誰かのスピーチにもあったけど、やはり結婚というものの半分以上は本人たちではなく周りの人々のためにあると思う。
特にパーティーは、その場を切欠に人と人とが繋がりを温め、あるいは新たに作り、そういう豊かで和やかな広がりの真ん中に位置できるんだと思う。
位置すべきなんだと思う。
つまりはそれが、パーティーへの参加者への感謝の表れなんだと俺は思うわけだ。

例えば、そのパーティーで誰かと誰かが出会ったら、その出会いはかのパーティーでの時のものとしてそれぞれの人生に組み込まれ残るわけで、それこそが結婚する二人への何よりの祝福だと思う。

あるいは個人的には、今日のパーティーで高校卒業以来会っていなかった同期諸氏と再会できたことが非常に嬉しかった。
何分、一学年180人の小さな学校で中高6年間も一緒だったもんだから、10年ぶりに会ってもしばらく呑んでいると昔の感じが蘇ってくるのがこれまた痛快だった。

なので俺は、別に俺のために彼らが結婚したわけでもないのに、素直に「結婚してくれてありがとう」と思えた。

(拙作『東京失格』では、全く逆のケースでの、でも本質的には同じくポジティブな人と人との連環の生み出され方が描かれていると思う)

ともあれ、結婚パーティーという人が集う理由は最高に素敵だ。
無条件で愛でたい。
それがただ呑んだくれるだけであっても、問答無用に素晴らしいものである。

ひょっとしたら人間を人間たらしめているのは、人と人との繋がりをまさに有機的に再構築する結婚というイベントの存在なのかもしれないとさえ思いながら、むしろ親や家族や親族や友人やお世話になった方々に感謝するのなら、その証として結婚パーティーをすることこそが正しいような気もしてくる。

自分の存在が多くの人と人との繋がりの現在進行形での表れであるのは間違いなく、それを自身で表現し還元し生産し、あるいは恩返しとも言えるし、むしろ個人の判断なんかではなく人の営みとしてすべきことなのかもしれない。

いや、良く分からないのだが、そんな気もする。
ちょっくら数十年ぐらいかかってしまうかもしれないが、それについてこれから考えてみることにする。
そういえば、まさにそれに関する映画の企画を俺は持っていたような気もする。
どうやら、もっと取材と考察と検証をしなければならないな。

なので皆さん、さっさと結婚して下さい。
親や家族や親族や友人やお世話になった方々に感謝しているのなら、結婚パーティーをして下さい。
めでたいことを、してあげて下さい。

ところで滅多にスーツというものを着ない俺は、今日一日スーツを着ているというだけでえらくくたびれた。
もう、当分の間はスーツを着たくないです。
次の結婚パーティーにはジーパンで行くことにします。
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2008年10月11日

ガリバー&スウィフト観劇

というわけで、パパ・タラフマラ新作公演「ガリバー&スウィフト ‐作家ジョナサン・スウィフトの猫・料理法‐」を観劇。
非常に面白かった。
明日12日の日曜の昼にも公演があるようなので、この機会に是非。
いや、早速だが再演しないのかね。

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2008年10月10日

俺はヤル気に飢えている

時々、俺は幸福だと思う。
周りに、俺に最高の刺激を与えてくれる友人がいるからである。

今日閉幕した某映画祭で、友人が二人、受賞しやがった。
友人が同時に二人もである。
しかも、同じ年齢の某監督に至っては、メインコンペで受賞しやがった。
全くもって素晴らしいし、おめでたい。
お二人には、この場を借りておめでとうございます!と言おう。
だから、おめでとうメールや電話なんてしてあげないんだから。
今度会った時には知らん顔して「え? そうだったの?」とか言ってやるんだから。

近しい年齢だったり、デビューが同じだったり、いわゆる同期組の連中が、次々と新作を撮ったり、完成させたり、さらなる成果をあげていたりする。
周りの男がどんどん出世して行くアレなのである。
俺だけが何も出来ず、独り取り残され無為な日々を送っているようで正直、口惜しい。
悔しいのは、自分が映画を撮れないでいることが歯がゆいのである。
映画監督なんだから、作品を創るスタイルもスタンスもペースもそれぞれであって然りであるということは十分に分かってはいるつもりなのだが、そもそも人生そのものが全く上手くいっていない小物の俺から見ると、友人たちの華々しい活躍は非常に眩しく見える。
いや、だからこそ、ありがたい。
友人というものは、こうであって欲しい。
うっかりすると3年寝ていてしまいそうな駄目な俺に、目が覚めるような素晴らしい刺激を与え続けていて欲しい。
まさに今日聞いた二つの吉報で、俺のハートに火が付いてしまいました。
俺はいま、ヤル気に飢えています。

たまたま今日の昼間、移動中の電車の中でぼんやりと「生まれ変わっても、例え生涯で地味な映画を一本しか撮れなくても、それでも映画監督でありたい」とか考えていた。
陽射しが強い日、重い荷物、退屈な移動、やっぱり俺は映画が好きだし、映画を撮りたいと思う。
映画を撮りたいとだけ思う。
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2008年10月09日

そういえば熊本に行った

9月末に海外在住の映画人である友人の結婚パーティに参加するため、熊本に行ってきた。

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羽田好き。
国内線に乗るのは生涯で二度目なのでかなり緊張していたが、手続きも30秒くらいで終わり拍子抜け。
時間が大幅に余って仕方が無いから、仕方が無いからビールを飲んでいる。
空港ですることといったら煙草を吸ってビールを飲むことだけなので仕方が無い。
午前11時頃の便で発つ。

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あっちゅーまに熊本着。
うわっと九州初上陸。
飛行機から見えた阿蘇山も綺麗だった。
熊本空港で待ち合わせなのだが予想以上に熊本空港は小さく、2時間ばかりの待ち惚けなので、仕方が無いからビールを飲んでいる。
空港ですることといったら煙草を吸ってビールを飲むことだけなので仕方が無い。
予定通りにお迎えのマイクロバスが来る。
マイクロバスとは聞いていたが、ちっともマイクロじゃないデッカいバスだったので危うく見過ごすところだった。
友人である新郎新婦と数年ぶりの再会。
これからこのマイクロバスで、阿蘇のキャンプ場に向かう。

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阿蘇の外輪山の一つにあるキャンプ場に着。
ここで結婚パーティを明日の昼までする。
キャンプ場にある貸別荘みたいなところも借りてあって、泊まる人はそこで寝る。
近くの温泉に連れて行ってもらってそこで呑んで戻ってきたら丁度、食事の用意が始まった。

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絵にかいたような御馳走を贅沢にもその場で調理して喰う喰う。
新郎新婦のご家族ご親戚やちびっ子たちやご友人たちなど、総勢数十名。
外国人も多い。
歌や楽器ができる人達が即興で披露してくれたり、とっても素敵。
その後、体力が尽きる早朝まで、喰って呑んで話しまくる。

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翌朝、今朝から来た人達も加えて、さらに宴が午後まで続く。
流石に呑めねえと思っていても、気の良いご親戚の方々に勧められるので有り難く頂戴する。
夕方になって、再びマイクロバスで、今度は熊本市街に向かう。
俺は途中で降ろしてもらって、空港に向かう前に街を散策。

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夜の便で無事に羽田着。
やっぱり結婚式で色んなところから多くの人が集まるのって素晴らしいなあ。
あと、山。山は良い。山。
posted by 井川広太郎 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする

2008年10月07日

ガリバー&スウィフト

こんにちは。
今日はお知らせです。

パパ・タラフマラ新作公演
「ガリバー&スウィフト ‐作家ジョナサン・スウィフトの猫・料理法‐」

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この秋、格別なコラボレーションが、東京グローブ座に襲来いたします!
今回の舞台美術はナント!日本を代表する現代美術家ヤノベケンジ。
音楽はインターナショナルエレクトーンコンクールグランプリ受賞の松本淳一、バリ島でいま人気実力ともにNo.1のガムラン集団「スダマニ」のデワ・ライの迫力の生演奏競演!
18世紀、イギリス、アイルランドに生きた作家スウィフトの逆説的ユーモア精神。顕微鏡で覗き込むような極小世界から見果 ぬ巨大世界への、聖転換!演劇も美術も突破する驚異が満載のミュージカルに、乞うご期待!

ストーリー
18世紀、イギリス、アイルランドを生きた稀代の偏屈者“作家スウィフト”の逆説的ユーモア精神が、時代を超えて蘇る。実像と虚像とを織り交ぜながら、奇想が溢れ出るスウィフトの姿を時代をおって描きます。年とともに次第に強くなる孤独感と、それゆえに生まれくる妄想の数々。司祭であり、作家でもあったスウィフト自身の生涯はまるでガリバーの旅行記そのものであった。彼自身の諧謔精神と時代性、そして広がりつつも縮小してゆく現代の現実を見つめつつ、その異様さ、奇妙さを暴きながら、舞踊、美術、演技、声、音楽・・・すべての舞台芸術の要素を用いて描き出す1時間半の作品です。

大きいのか?小さいのか??
かわいいのか?こわいのか??
こわかわいいのか!  なんたって、ねこだからね。

神も仏も、ワシに微笑んでいる夢を見た。世界はマルだニャー


<会場>東京グローブ座
〒169-0073 東京都新宿区百人町3-1-2 tel:03-3366-4020

<日時>2008年10月9日(木)〜12(日)
10月9日(木):19:30〜
  10日(金):20:00〜
  11日(土):14:30〜、19:30〜
  12日(日):14:30〜
*上演予定時間は約90分です。(休憩なし)

<料金>全席指定
前売一般 S席=5,500円、A席=4,700円
学生・65歳以上・身障者割引=3,900円(席種はA席)、学生Z席=1,500円(3F席)
当日券 S席=6,000円、A席=5,200円
* 学生・65歳以上・身障者割引、学生Z席は、前売のみ、SAI Inc.のみのお取扱いとなります。
* 7歳以上のお子様からお楽しみいただけます。

<チケット取り扱い&お問い合わせ>
「ガリバー&スウィフト―作家ジョナサン・スウィフトの猫・料理法―」
公式サイト→http://pappa-tara.com/gs/





えっと、あまりに長いので、ここまでコピペして力尽きました。
なので、以下は短く。

大学の後輩が当時からこのパパ・タラフマラというパフォーミングアーツカンパニーというのにいて、今回は主演するそうなのです。
今週末っつーか明々後日から、あのブローブ座でやるんですって。

俺も観に行きます。
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2008年10月06日

損得とは何か

こんにちは。
今日は毎度のごとく江古田で呑んでました。

で、俺が座るテーブルが五人で、そこに餃子が五個入りの皿が来ました。
焼売の次くらいに餃子が好きな俺ですが、五人席に五つなら慌てることもないと皆が箸を伸ばすのを静観していました。
しかし、最後に残された二つの餃子に目の前の二人が箸を伸ばすのを見て、はたと気付きました。

俺の分が無い。

誰が二個食いやがったのでしょうか、数が数えられないイタターな子がいたのでしょうか、いずれにしても後の祭、割り勘の法則、俺は餃子を食い損ねてしまったのです。

あまりのショックに俺が独り反省会をしていると「そういうところでお前は損をしているのだ。映画も同じでもっとガツガツいかないと負け続けるよ」と指摘されました。

そうなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

しかし、それでも平和主義者を標榜する以上、俺は俺が残念な思いをしても周りの人が穏やかならばそれで良いのではないかと思いました。

俺か周りか、視点の主軸の置き場で変わるようなことならば、やはりどうでも良いことなのではないかと考えました。

とかなんとか脳内で自分自身を説得していたら、隣のテーブルから余った餃子が二つまわってきました。

待てば海路の日和あり、俺はその内の一つを有り難く頂戴したわけですが、ちょいと待たれよ、結果このテーブルには餃子を二つ食べた人が都合二人いることになります。

餃子を二つ食べた人が都合二人いることになります。
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2008年10月05日

JapanとかJapon

海外から日本への旅行者は大概「Japan」とか「Japon」とか書かれたガイドブックを持ち歩いている。
っつーか、街中で「Japan」とか「Japon」とか書かれた本を持っている人は一発で海外からの旅行者だと分かる。
が、実際にそれらを手にしてみると、日本での一般的なガイドブックのイメージとは随分と異なる。

中を見て気付くのが、写真が少なく文字がやたらと多いこと。
日本で売ってる海外旅行のガイドブックといったら、キレイな写真や地図が沢山載っていて、情報がこと細かく記されているものだが、「Japan」とか「Japon」は全く違う。

前に外人の持ってる「Japan」を見せてもらったら、写真は少なく、日本の解説文みたいなのが延々と書いてあって、まるで教科書か、あるいは取扱説明書みたいだった。
日本的な「観光地めぐり」というような発想とは大分違うのかもしれない。

世界のガイドブックの歴史みたいなのも調べると面白そうだし、例えば外国人向けのガイドブックで日本はどう紹介されているのかも興味深いが、国ごとのガイドブックの在り方の比較をしてみたら色々と文化的な側面が見えてくるのかもしれない。
posted by 井川広太郎 at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする

2008年10月04日

山岳漫画とは何か

こんにちは。
時々俺は、自分が無知で良かったと思うことがあります。
それは、新しく何かを知り発見する喜びに出会った時です。

『神々の山嶺』という谷口ジローの漫画を読みました。
あまりに面白くてぶったまげました。
夢枕獏の小説を原作とした登山ものの漫画なのですが、漫画でしか有り得ない描写に満ち溢れていて、漫画の醍醐味である静止の描写とイメージの連動によるサスペンスに溢れた傑作でした。
前半の緻密に構成されていく伏線と、物凄い勢いでドラマと化して行く中盤、そして後半の至高へと辿り着く展開が、山と登山と山屋ならではの絵と筋によって圧倒的に表れている。
早く読み終えてしまうことが勿体なくて怖かったのですが、それでも読みたいという衝動に打ち勝つことが出来ず、一気に貪るように読みました。
読み終えてから、次は一コマ一コマじっくり味わいながら読み直すのが楽しみです。

登山をテーマにした漫画という括りの山岳漫画というのは、一つのジャンルを形成しているようです。
谷口ジローはその第一人者として極めて評価が高いようですし、最近読んだものでも石塚真一の『岳』は非常に面白く大ヒットしているし、新田次郎の小説が原作の坂本眞一の『孤高の人』も登山にかける訳の分からない情熱が独特の描写になっていて興味深い。

『神々の山嶺』を読みながら思ったのですが、登山と映画は似ているのかもしれない。
単に俺が登山という行為を自分の中の映画と重ね合わせていただけなのかもしれないが、ともかく何か他人事じゃないように思えた。
どう考えても登山なんてあまりに無謀すぎて何でそんなことするのか理解出来ない。
それこそマロリーの「そこに山があるから(Because it is there)」ではないのだが、そもそも説明にすらなっていない。
多分、本人達も分かっちゃいない。
分かっちゃいないから登るのかもしれないし、登れば分かるのかもしれないし、そもそも分かることなんてどうでもいいのかもしれない。
しかし、登る。
しかし、それでも登るのである。

『神々の山嶺』の中でも、誇り高き男達がちょっとしたことでムキになって命を晒すような冒険に出るという繰り返しなのですが、そういうマッチョな感覚もどうなのかと思ったりもしつつ、悔しいけど僕は男なんだな 、馬鹿になれるほどの情熱というものにビシビシと共感してしまうのである。
そういう意味では、漫画でも映画でも、女子登山家を主人公にしたら面白いと思う。
マッチョなモチベーションとは全く違うアプローチで登山を描けるかもしれない。
誰か、オススメの作品があったら紹介して下さい。

というわけで『神々の山嶺』は面白かったという以上のことはあまり良く分からないのですが、それにしても読み終わった直後から俺の胸の中でざわめく「今すぐにピッケルとアイスバイルを両手に持って高度8000mのエヴェレストの氷壁をよじ登って疲労と寒さと孤独に生命の危険を感じながらそれでも頂きを目指したい」というこの衝動は一体なんなのだろう。
posted by 井川広太郎 at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする