2009年05月31日

翻弄者

小説をあまり読まないようになってから随分と時間が経ってしまった。

もちろん嫌いとかいうわけじゃないのだと思うが、どうもあまり興味が湧かない。

そんな俺が最近読んだ面白い小説なんていうと、矢作俊彦の『ららら科學の子』とか、もっと昔の筒井康隆の『邪眼鳥』とか、やたらと古いものばかりになってしまう。

それもどうなのかなあと思っていた矢作、じゃなくて矢先、ついこないだ久々に面白い小説を読んだ。

『翻弄者』(藤原章生・著/集英社/発行:2009.04/1600円)

新聞の書評で読んで、おっと思って早速買って読んでみたのだが、そういう時の御多分に漏れず、べらぼうに面白かった。

これが小説かどうかは微妙でもある、ってか、ノンフィクションにカテゴライズされているらしい。

フィクションとノンフィクションの境目なんて、この本を読んでいると如何にも怪しくなる。

作者は「第3回開高健ノンフィクション賞」を受賞しているジャーナリストで、話はバグダッドの預言者、ケープタウンの運転手と娼婦、キューバの詩人を追った三部からなる。

バグダッドの預言者の話が猛烈に面白い。

誰かの話を聞くこと、あるいは文字を読むことには、発する側の意図とは懸け離れた次元で受け手の再構築が介在するわけで、それをギャップとか想像力とか言うのかもしれないが、当事者でありながらも自身をも相対化し、真実であるからこそ事実に捕われず、そういったズレや広がりすら傍観しながら楽しむような、そんな豊かさに満ち溢れている。

俺はこうだ、お前はそうか、お前はそうだからお前で、俺はこうだから俺であり、なるほど、俺と、お前、こんにちは、はじめまして。みたいな。

こういう読み物、好き。
posted by 井川広太郎 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする

2009年05月28日

オフラインとは何か

みなさん、こんにちは。
「更新遅れちゃってごめんなさい><」って誰かのblogに書いてあるのを見ると、とても不思議な感じがします。
なにがどう不思議なのかはよく分かりません。

このlost in blogを始めた2004年頃は、俺はblogについてほとんどよく知らず、しかしblogというシステムはスゴいと人に勧められたので、逆にblogを知るために始めました。
そうしてダラダラと続けているうちに、blogの便利さとかありがたさとか可能性とか、色々と実感しながらいまに至るわけです。
しかし同時に、blogとは何かという疑問は大きくなるばかりです。
知れば知るほど分からないことが増えていくというのは、どうやら真実のようです。
そこで興味や関心を持ち続けられるか否かが分岐点になるのでしょう。
いずれにしろ、俺がblogを始めた頃と今とでは全く日本におけるblogをめぐる状況も変わっているので、そういったblogをとりまく環境の変化をも内包しつつblogとは何かというどうでもいいような疑問と俺は向き合っているわけなのです。
まあ実際なんのこっちゃサッパリ分からないのですが、ただボンヤリと、例えば俺のような影の薄い人がコンスタントに不特定多数の方に近況報告をできるというのはスゴいことだなあと思うわけです。
Blogがない時代なら、普通に忘れ去られるか、忘れ去られないためにはとてつもなく面倒な作業をしなきゃいけなかった。
それがほんの僅かとはいえ、webの世界でなら簡単にできるということは、全くblogのお陰だなあとしみじみと思うのです。
なので、いい加減な俺はこのblogに関しても特にルールを設けないようにしているのですが、毎月一回は何か書こうと、そう決めています。
どんなに更新が遅くとも、2ヶ月以上間が空くことは無いというそういう計算になります。
このルールだけは守って細々とでもこのblogを続けていきたいなあと俺は思っています、ということを前から書こうと思っていたのですが、よくやく書けました。
だから何よって言われても困るんですが、敢えて言うなら、一ヶ月ぐらい更新なくてもどうということはないということです。
まあ、忘れてしまったのならそれはそれで仕方がないような気もします。

76世代の俺っちは、因に一浪して大学に入った96年ごろにインターネットが急激に普及し、大学でもパソコンを使うことが日常的になるまさにその最中にいたわけです。
大学入ってすぐの頃は、計算機室に入り浸ってパソコンの使い方を覚え、既にウェブサイトを自作しているような進んだお友達のページを閲覧したりもしたものです。
いまもメインに使っている、某webメールのアカウントもその頃から使っているものです。
大学の計算機室で、試行錯誤しながら獲得しました。もう十年以上前ってことになるわけです。
もう十年も使っているのですが、前にも書いたように、最近またも迷惑メールで受信トラブルが起き、一部のメールを2週間ほど遅れて受信したりしてしまいました。
反省しています。以後気をつけます。

で、人には変われない部分もあるのかもしれないなあと時々思ったりもします。
忘れ物とかはあまりしないし、財布を落としたりとか、鍵をなくすとかはしないのですが、例えば上のメールの件とか、酒の席での粗相とか失敗とか、何度も繰り返してしまう過ちが俺には沢山あるわけです。
誠に遺憾。直せるものなら可及的速やかに直さなきゃいけない。いや、直せ。
で、そういうのを直そうという気持ちが強すぎると、そういったことが起きた時のリスク回避を怠ってしまうことが逆にあるように思うのです。
なんというか、そういったミスをおかすという自分の弱さを否定する方向に自分の心が動いてしまい、対策や善後策まで頭が回らなくなってしまう。
だから、そういったミスを必ずまた自分はおかしてしまうという前提にたって行動することも必要なんじゃないかなと最近は思います。
ミスをおかしてしまう自分の弱さを受け入れることが本当の強さなんじゃないか、とかなんとか言うと白々しくてどうかと思いますね、俺は。
ただ、つまりは、実際に起きていない時にどれだけ実際に起きた時のことを想像できるのか、という話になるのだと俺は思うのです。

そんな感じで、ここ最近は久しぶりの面子も含め、色んな人に会う機会に恵まれています。
成長した彼らから見ると、体たらくな俺は一体どう映るのか、ぶっちゃけブルっちゃうけど楽しみでもあります。
自分の中でコツコツと進める作業と、他者と向かい合うことでダイナミックに生み出される何かとかは、全く相関的かつ相互補完的な物事だと思うのです。
例えば、フットボールにおけるオフザボールの動きなんていうのは、まさにそれ。
posted by 井川広太郎 at 01:14| Comment(0) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする