2011年11月30日

果てなき路/断絶ニュープリント版

果てなき路』2011年/アメリカ/原題: ROAD TO NOWHERE/121分/配給 boid



伝説の映画監督モンテ・ヘルマン21年ぶりの新作

ニューシネマの伝説的な作品としてアメリカ映画史に燦然と名を残す『断絶』。クエンティン・タランティーノ、 ヴィンセント・ギャロをはじめとする多くの映画人たちに強烈な影響を与えつつも、一方で興行的な不振のために 彼はその後、映画作りそのものとの苦闘を余儀無くされることになる。そして『ヘルブレイン/血塗られた頭脳』 (89年)を最後に長編作は途絶え、「伝説」の「呪われた映画監督」という言葉だけが流通するばかりとなった。
もちろん世界はヘルマンを忘れたわけではない。その間も『断絶』のDVDは形を変えて何度もリリースされ、 ミュージシャンであり映画監督でもあるロブ・ゾンビは『断絶』の原題である「Two-Lane Blacktop」という曲を作り、 「I met a gypsy girl and took her on the track / The kinda girl walk / The driver don't talk」と、まさに『断絶』の風景を歌った。そして03年にはウィルコ、ソニックユース、 キャレキシコなどが『断絶』へのトリビュート・アルバム『You Can Never Go Fast Enough』に参加する。 多くの映画好きが自身を『断絶』に投影し、そして彼の新作を待ち望んでいたのである。
そんな彼の新作長編映画が、21年ぶりに完成した。
ヘルマンの娘がプロデュースを買って出た本作は、すべてをデジタル撮影するなどさまざまな面に おいて新たな挑戦を行った、若々しさと瑞々しさに満ちた映画。ヘルマン自身も 「あらゆる点でまったく新しい境地に踏みだした」作品だと述べている。映画の「伝説」と最新技 術との不意の出会いと強烈な相互作用が作り出す、閃光のような作品がここに出来上がった。


映画制作のプロセスを描いた映画

久々の新作となった本作の主人公は、まるでかつてのヘルマン自身を思わせる、ハリウッドでの活躍を 期待された若手の映画監督である。そこには、脚本家と共にストーリーを練り、出演者を捜し、制作上の あらゆる問題に対処しようとするひとりの映画監督の姿がある。へルマンと長年タッグを組んできた脚本家の スティーヴン・ゲイドスは、ヘルマンと自分とのこれまでの映画制作のプロセスをモデルに、本作の脚本を 執筆したという。「私たち(ヘルマンとゲイドス)は素晴らしい友人であり、このストーリーは悲惨な人生を 歩んだふたりか生まれたものだとわかる。だから私は、これほどまでに「映画」についての映画を私たちが つくってしまったこと、そしてそれが、ほかでもない私たちの個人的な人生と経験に基づいたものであることを 皮肉に思う」(モンテ・ヘルマン)。

監督 モンテ・ヘルマン
出演 シャニン・ソサモン/タイ・ルニャン/ドミニク・スウェイン/ウェイロン・ペイン/クリフ・デ・ヤング

作品公式サイト http://www.mhellman.com/

2012年1月14日(土)渋谷シアター・イメージフォーラムにてロードショー!!






断絶 ニュープリント版』1971年/アメリカ映画/原題:Two-lane blacktop/102分/配給:boid



『イージー★ライダー』(69年)の大ヒットを受け、アメリカン・ニューシネマの登場に湧いてい た、70年代のハリウッド。『断絶』は、ユニヴァーサル映画が、『さすらいのカウボーイ』(71年 /ピーター・フォンダ)『ラストムービー』(71年/デニス・ホッパー)とともに起死回生の企画と して仕掛けた野心作だった。しかし興行的には惨敗し、モンテ・ヘルマンがメジャー映画から遠 ざかる原因となったいわくつきの作品である。
主演に70年代を代表するシンガーソングライター、ジェームス・テイラーとビーチ・ボーイズのデ ニス・ウィルソンを起用、そして彼らとレースをする中年男役に、サム・ペキンパーやピーター・ フォンダ作品の常連である名優ウォーレン・オーツ。ヒロインは、アート・ガーファンクルとの交 際でも知られる、当時無名のローリー・バードが演じた。ウォーレン・オーツ以外、プロの俳優は 使わず、撮影直前にそのシーンの台詞を手渡し彼らの即興的演技を引き出したという。また 撮影は映画の物語と同じLAからワシントンDCまでのコースを辿り、撮影自体が一種のドキュ メンタリーとして行われた。
70年代アメリカのフリーウェイを疾走する2台の車と、愛と孤独を求めて彷徨う若者たち。『断 絶』はアメリカン70sを体現する、アメリカン・ニューシネマの金字塔的作品であり、孤高の ロードムーヴィーである。

出演:ジェームス・テイラー/デニス・ウィルソン/ローリー・バード/ウォーレン・オーツ/ハリー・ディーン・スタントン
監督:モンテ・ヘルマン

2012年1月14日(土)渋谷シアター・イメージフォーラムにて モーニング&レイトショー 11:15/20:45



断絶はカッコよかったな。
posted by 井川広太郎 at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | REVIEW | 更新情報をチェックする

2011年11月25日

瞳は静かに

瞳は静かに』2009年/アルゼンチン/HDCAM/カラー/108分/原題:Andres no quiere dormir la siesta/配給・宣伝:Action Inc.

1977年 アルゼンチン
軍事政権下に隠された家族の秘密

子供の瞳は 静かに 大人を観察している



アルゼンチン映画の中で繰り返し扱われるテーマがある。軍事独裁政権(1976-82)と経済破綻(2001)だ。
この2つは歴史的に密接な関係があるのだが、軍事政権が崩壊してから28年たった今も、なぜ、これらのテーマで映画が作り続けられているのか。

その疑問に答えるかのように、当時、子供だったダニエル・ブスタマンテ監督が、自らの体験をベースに描いたのが本作だ。
舞台はアルゼンチン北東部の州都サンタ・フェ。近所の人たちは皆、顔見知りといった地域に住むアンドレス(8歳)の1年の物語。やんちゃでイタズラ好き、好奇心旺盛な男の子が、どのように変わっていくのか。そして、それは何故なのか。

一見して平穏な町にも、反体制派の一掃をもくろむ情報局のアジトがあった時代。
大人から伝わってくる恐怖や不安、そして、家族を守るためにつく嘘と沈黙。そんな中で、子供たちが何を見て、何を感じていたのか。
「子供は知らなくていい」「大人の話に口を出すな」と言われてきた世代が、大人になり、経済破綻の時期を経て、ようやく子供時代のことを語り始めた。当時の家族の物語を…。

キャスト: ノルマ・アレアンドロ、コンラッド・バレンスエラ、ファビオ・アステ、セリーナ・フォント
監督:ダニエル・ブスタマンテ

公式サイト http://www.action-peli.com/andres.html

2011年12月10日(土)新宿K's Cinema、渋谷UPLINKにてロードショー


原題を直訳すると「アンドレスはシエスタなんてしたくない」。

シエスタというのはスペイン語で「長い昼休み」のことだそうで、目安として午後1時から午後4時、その間にお昼を食べ、家に帰ったり、お昼寝する人も多いそうです。

スペインとアルゼンチンではいまも習慣として残っているそうで、シエスタ中は商店なども休みになったりするとか。

この映画の中で大人は、自分たちに都合が悪い事があると「シエスタしてろ!」つまり見聞きするなとばかりに子供をベッドの中に無理矢理押し込める。

横暴な親にシエスタを強要されるアンドレスの物語、というわけです。

秀逸なアバンタイトルでストーリーのほぼ全てを見せておいて、そこからダイナミックに展開するのかと思いきや、執拗なほど丁寧にエピソードを積み重ねていく構成が、どうしても物語りたかったのだという熱意を感じさせます。

お母さん役の人がとんでもなく美人で明るく素敵で、その嘘みたいな存在感の強さが非常に効いていました。

「恐るべき子供たち」を描いた最近の映画としては、ミヒャエル・ハネケの『白いリボン』(2009)が思い出されますが、描かれている時代も国も別なので、あえて見比べてみるのも面白いかもしれません。

そういえば先日、来日中のスペイン人ミュージシャンのカルロスさんがライブのリハの後、いつの間にか会場の片隅のソファーとテーブルを上手に使ってお昼寝していて、そのシエスタの見事さにやはり本場は違うなと皆で感激致しました。
posted by 井川広太郎 at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | REVIEW | 更新情報をチェックする

2011年11月22日

岩明均「ヒストリエ」7巻

岩明均『ヒストリエ』の七巻が今日、発売されたので、とりあえず近所の本屋さんで購入した。

いまちょっとなんだかバタバタしているし、待ちに待った新刊なので読む愉しみをしばらく取っておこうと思ったのだが、うっかり読破してしまった。

こうして新たに繰り返し読むという愉しみを得ると同時に、早速、続きが読みたくなってしまい困る。

前巻が発売されたのは一年半前だったらしい。

なんだか生きていると色々あるから、一年半なんて、あっちゅう間だよな。
posted by 井川広太郎 at 23:23| Comment(4) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする

2011年11月18日

iPhone4S

こんにちは。
もう十数年の間、頑にPHSを使ってきたのだが、ついにiPhone4Sを買ってしまった。
以下はPHSへの愛着を込めた、懺悔と贖罪である。

いまは昔、確か96年か97年、まだDDIポケットの頃に初めての個人所有電話としてPHSを持った。
当時は携帯電話とPHSの垣根が低く、DDIがベルマーレのスポンサーだしという安易であった。
それ以来、H"になったり、KDDIだとかウィルコムになったりしたが、頑として同じ電話番号を使い続けた。
困る事と言ったら、電話番号を教えるたびに「え? 070? PHSですか?」と一々聞かれることぐらいで、他には何一つ不自由は無かった。
むしろ最近は、素晴らしく高いデザイン性により使用中に「可愛い電話ですね!」と指摘される事も多く、震災のときなどは周囲の携帯電話が軒並み使用できない中で全く問題なく繋がってみせた。
曰く、ウィルコムに愛想が尽きたわけでは決してなく、単にスマホの魅力に抗いがたかっただけなのである。

当初は、smartでないからスマートホンなどモテるわけないし、使いこなせるわけもないと遠慮していた。
それがiPhone導入へと強く舵を切ったのはいつからだろうか。
ハッキリとは覚えていないけど、やはりジョブスのことと、その直前にPCが壊れた時だろうか。

今年の夏の終わりに、Power Mac G5が壊れたのはどうやら寿命だということで、致し方なくiMacに買い替えたわけだが、G5が壊れてからiMacが届くまでの一週間ほど、ネットに繋がらない生活になってしまった。
PHSでは調べ物にも不自由するので、代わりに友人にググってもらったりしたのだが、そんな時に「iPhone持っていれば全く困らない、もはやネット接続はPCよりiPhone」と言われ、心の面舵いっぱい。
Macユーザーとしてジョブスへの哀悼もあり、iPhone4Sにすることに決めたのだ。

巡り巡ってKDDIのauにするという因果応報の後、新規加入なので審査があると言われ不安になりつつ、手続きなどどで暫く待つ必要があるということなので、本でも読んでいようかと近くの喫茶店に入ったら、大学の映画サークルの後輩に会った。
初めてのスマホどころか初めての携帯であるという流れで、PCは多いに使うがそれは他に仕方が無いからそうしているだけで、実は基本的には全くの機械音痴であるという話になった。
特に携帯やら移動するものが全く理解できず、つまりは携帯も、携帯ゲーム機も、スマホも無線LANも何のことだか分からない。
いままで携帯を使ったことが無いから機能から何まで全く知らずガラパゴスどころではないし、喫茶店などで見かけるwi-fiというのをウィーフィーと読み、携帯ゲームなどを集まってする交流場的なものだと解釈していたと告白すると、まるで原始人だと彼は笑っていた。

以前、久しぶりにTVを見た時に、CMのほとんどがスマホと電話会社のもので驚いた。
大型量販店などの前を通ると「新しいスマホで、より快適な生活を!」などと連呼していて、それを聞く度に、文明の利器が少しでも快適な生活に寄与しているのかと疑問を感じる。
仮に便利になったとしても、快適になるとは到底思えない。では、便利さとは一体なんなのか。

そうして今、目の前にiPhone4Sがあるわけだが、やはり使い方がさっぱり分からない。
使いこなせば、よりmovableに、しいてはよりactiveになれる道具であるはずなのに、何をどうして良いかも分からないので、ただ目の前に置いて、こうして愛でているだけなのである。
しかし、どうしたことか、なぜだかドキドキとワクワクと、そしてウキウキが止まらない。
ドキドキとワクワクとウキウキが、さめやらないのである!
posted by 井川広太郎 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする

2011年11月10日

孔子の教え

孔子の教え』(2009年/中国/2時間5分/原題: 孔子/配給:ツイン)

孔子の言葉の数々、「論語」。
混迷の時代から抜け出す手がかりが、そこにある。

はるか二千五百年前。春秋時代の中国に生を受けた、その人の名は孔子。
戦乱の世に民に希望をもたらした彼の言葉の数々を編纂し、後世に伝える言行録「論語」は、人々の心の礎となり、長く日本でも語り継がれてきた。
混迷を極める、真のリーダー不在の現代、その思想の重要性は増し、アジアのみならず世界中で再評価が高まっている。
しかし、これまであまりに神格化され、崇高な存在であり過ぎたゆえに、我々は孔子本人のことを何も知らなかった。
本作は、挫折を繰り返しながらも、時代の流れに抗おうとする “人間・孔子”を初めて描く、最良の孔子伝。
実践的、現代の論語入門書である。


中国語圏映画界が総力を結集!
スーパースター、チョウ・ユンファ新たなる代表作!

中国人俳優にとっては最も畏れ多い挑戦ともいえる孔子役に挑んだのは、チョウ・ユンファ。
時代時代に忘れがたい代表作を残してきた彼が、香港、ハリウッドでの活躍を経て、遂に中国本土映画で、最高の演技を見せた。
孔子の前に現われる絶世の美女・南子には、『ウィンター・ソング』などで中国四大美人女優の一人に数えられるジョウ・シュン。
監督はチャン・イーモウ、チェン・カイコーらと共に、中国ニューウェイブ世代に属する女性監督フー・メイ。
『山の郵便配達』『レッドクリフ』『グリーン・デスティニー』等を手がけた、中国語圏映画界を支える最高のスタッフが、結集した。
主題歌はフェイ・ウォン。孔子の教えを現代に伝える、意義深い作品だったからこそ、参加することを決めたという。



監督・脚本: フー・メイ
キャスト:チョウ・ユンファ、ジョウ・シュン、チェン・ジェンビン、ほか
主題歌: フェイ・ウォン

作品公式サイト "http://www.koushinooshie.jp/

11月12日、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー!


観ている時は、正直、あちゃーと思った。コイツは困った。さて、どうしたものか。

しかし不思議なことに、友人と飲んでいる時とかに「最近何かオススメある?」と聞かれると、うっかり、この『孔子の教え』をレコメンドしてしまうのだ。
あれ?おかしいな、勧めるつもりじゃないのに…などと思いながら、身振り手振りでシーンを再現してしまう。
「ここで、チョウ・ユンファが、ドシャーって、水たまりに倒れて、そのドシャーっぷりが最高なんだけど、さらに、その時のチョウ・ユンファの顔が、カァッーってなってて、それがまた最高なのよ!ドシャー!」という案配である。

いずれにしろ、チョウ・ユンファである。
熱演とか演技対決とか体当たり演技とかなんとか、そういった演技を形容する言葉もあるが、この映画のチョウ・ユンファはもう、そういった次元ではなく、なにかもう一線を越えちゃってる。
どっからどう見てもアジア映画史上最高のスターの一人であるチョウ・ユンファであることにまぎれもないのだが、そのチョウ・ユンファが、チョウ・ユンファでありながら、まるで孔子に見えてしまう。そんな瞬間が度々訪れるのだ。
演技は確実に上手いし、それこそ相づち一つ打つのに使う目の動き、首のかしげ方、ほおの筋肉の微動等々、絶妙な間合いからの細部にわたるまで、演技はうっとりするほど見事である。
演技は完璧、だけどさ、やはり演技なんだし、ぶっちゃけコスプレだし、スターだし、やっぱりチョウ・ユンファはチョウ・ユンファに決まっているわけなんです。そもそもチョウ・ユンファが主演じゃなきゃ観ねえし。
なのに、そのチョウ・ユンファが本当に孔子に見えちゃう瞬間がある。やばい、神憑ってる。あれ、いまのチョウ・ユンファだよね?孔子って2500年前に死んでるよね?なにこれ怖い。ってぐらいの迫真の演技を何と呼べばいいのか。

水たまりドシャーもそうだし、戦車ドギャンもそうだし、他にもいっぱいあるのだが、なんてたって太鼓ドンドン。太鼓ドンドンである。
情感が込められた見事なシーンなんだけどさ、オーバーなんだかギャグなんだか、いずれにしろもはや常軌を逸しちゃってて、あの顔、チョウ・ユンファのあの顔はブルース・リーに肉薄している。
とりあえず太鼓を叩く男の顔としては映画史上屈指のクローズアップだと思うな。あんなに情感込めた顔で太鼓を叩ける男はアジア中を探してもそうそういないよ、マジで。

ぶっちゃけ、観て気に入らないかもしれない、観ている時はツマラナイかもしれない。でも、観た後に酒を飲みながらこの映画の話をしたら、絶対に盛り上がる。そういう映画。
これ観て孔子のことを好きになる人はいるのか、いないのか分からないけど、チョウ・ユンファのことは確実に好きになっちゃうだろうな。うん。
posted by 井川広太郎 at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | REVIEW | 更新情報をチェックする