2014年03月21日

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(原題:Inside Llewyn Davis/2013/アメリカ/配給:ロングライド/104分)

コーエン兄弟による、2013年第66回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ受賞作



監督:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
製作:スコット・ルーディン、ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
出演:オスカー・アイザック、キャリー・マリガン、ジョン・グッドマン、ギャレット・ヘドランド、F・マーレイ・エイブラハム

5月30日(金)TOHO シネマズ シャンテ 他全国ロードショー
オフィシャルサイト http://www.insidellewyndavis.jp/


1960年代のニューヨークを舞台に、売れないフォーク・シンガーの上手くいかない仕事とうだつの上がらない生活、そして醒めない夢と揺るがない信念を描く青春映画。
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2014年03月09日

息を殺して

息を殺して』( 2014年/アメリカンビスタ/5.1ch/color/85min)

出演:谷口蘭 稲葉雄介 嶺豪一 足立智充 原田浩二 田中里奈 稲垣雄基 のぼ(Nobody) あらい汎
監督・脚本:五十嵐耕平
製作:大木真琴 加藤圭祐



<東京藝術大学大学院映像研究科第8期生修了作品展にて上映!>

◆東京藝術大学横浜校地馬車道校舎
3月1日(土)17:20
3月2日(日)14:50

◆渋谷 ユーロスペース
3月8日(日)19:00
3月10日(月)21:15
3月13日(木)19:00

公式HP http://film.fm.geidai.ac.jp/2014/


「犬」の語源は判然としないらしいが、どうも「居る」の否定形の「居ぬ」を連想してしまう。
まさしくnobodyであるわけだが、つまりは、いるのかいないのか、はっきりしない。

夜勤で数名が常駐するだけの、薄暗く閑散とした工場内に一匹の犬が迷い込んでしまう。
明確な物語と言えば、立ち上がりのそれくらいのもので、なんだか続きがあったような気もするが、それにしても曖昧で、あるのかないのか、うやむやである。
ともあれ、夜勤だとか残業だとかいう名目で無人の工場に居座る彼らは、愛にも恋にも無感情で、はたして死にも生にも無感動である。

たぶん外界と繋がっているテレビも見られるから情報は十分にあるし、スマホもあって、めちゃくちゃ面白いビデオゲームもあるし、パーティの飾り付けも音楽も準備していて、腹が減ったら干し芋もあって珈琲も飲めるし、トイレもあって仮眠も出来る。
おおよそ、全てが満たされたその世界に「居る」彼らは、まるで生気がない。
全てが満たされた工場という名の箱の中で、生と死の狭間をたゆたうような儚げな彼らには、間違いなく、ぬくもりが足りない。

2018年とか日本国とか言っていたような気もするが、この映画は、どこの誰が撮ったのか、ろくに印されていない。
知ってはいるがあまり見慣れぬ景色というか断片的な光景のみが映り、確か日本語を話していたが、滑舌悪く言葉数も少なく、意味も途切れ途切れで、俳優陣のかすかな肉体だけがおぼろげに記憶されるが、それ以外は霞のように消えていく。
なにかが決定的に不在だ。

もとより、フィクションの現在地とはどこなのかが怪しい。
物語の中でなら生も死も自由自在に操れるというような誤解もあるが、我々が映画を観ている時、その俳優もその場所も、既に存在しない可能性の方が実は高い。
だからこそ、どこの誰かを確かめたくて、何かをたぐり寄せたいのだが、この映画においてはどうにも全ての存在感が希薄である。

一言で言うと、無味無臭の映画なのだ。
どうしたって映画は、甘かったり、香ったり、苦くてもクサくても何かしら癖があるものだが、『息を殺して』は、奇妙なほどに味もしないし匂いもしない。
夢と希望を失い、時が止まって荒涼とした世界のようだ。
かといって光が無いわけではない。
屈折した反射光の中で、衣擦れと機械音と、乾いた音だけが寂しく鳴り渡る。

戦争や死の傍らでサバゲーに耽るのも、平和と惰眠の中でサバゲーに興じるのも同様におかしく、意思のない肉体は一列に並べられたフィギュアのように容易に倒されてしまう。
ただただ、人気のない公道に乾いた軍靴が延々と響き続けるような、そんな異様な恐怖感だけが残る。
しかし、そんなことすら、この映画においてはどうでも良いことで、むしろ、そういった拠り所の無い社会を切り出していることが面白く、そのこと自体が恐ろしいのだ。

このままでは不幸になる気がするし、確かに幸せになれない予感がする。

頼りない美しさの中に、圧倒的な空虚さを醸し出す谷口蘭が素晴らしい。
助走をつけた彼女が自信なさげに小躍りしようと腕を振り上げる瞬間が瑞々しく、また、それ以降の躍動感の無さが抗いがたい絶望を表象している。

しかし、不幸になるって、どういうことなんだろう。
というか、幸せってなんなんだろう。
そもそも、犬なんて、いたのであろうか。
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2014年03月07日

ゼウスの法廷

ゼウスの法廷』(2013年/日本/配給:GRAND KAFE PICTURES/136分)

『ポチの告白』で日本の警察犯罪を描いた高橋玄がオリジナル脚本で日本の司法問題に斬り込んだ意欲作。
前代未聞の裁判劇が開廷する。

監督・脚本:高橋玄
製作総指揮:高橋玄
出演:小島聖、野村宏伸、塩谷瞬+椙本滋、ほか

2014年3月8日(土)よりシネマート六本木ほか全国順次ロードショー

作品公式サイトhttp://www.movie-zeus.com/



浮気の末に殺人の容疑をかけられた女が、元婚約者である裁判官に裁かれることになり、二人が愛と司法の狭間で葛藤しながら法廷で対峙する、異色の恋愛映画。
あり得ないような設定を豪快に貫き通してまで、裁判所という舞台に愛というテーマを持ち込んだ直球勝負のメロドラマが、ガッツシ泣けて感動的。
小島聖がどうしようもなく美しくて、ずっとドキドキしながら観ていた。
極限状態で愛に悩む男女の姿が狂おしい見事なラブストーリーで、エンターテイメントとして完成されていながら、司法の闇をするどく睨む社会派の映画でもある。
しかし批判的であったり政治的であるというよりも、法や罪などに捉われない人間讃歌に立脚しているからこそ、愛を裁くという素晴らしい着想が生まれたのではないだろうか。
骨太な日本映画に飢えている人には、この映画をオススメします!
posted by 井川広太郎 at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | REVIEW | 更新情報をチェックする