2008年10月16日

僕の小規模な生活

こんにちは。
福満しげゆきの漫画が面白いです。

モーニングで『僕の小規模な生活』が不定期掲載されている頃から時々その他の連載も読んでいたのだと思うのだけれど、最近になって幾つかの単行本をまとめて読み直して、やっぱり面白い。

簡単に紹介すると、「売れない漫画家」が
『僕の小規模な失敗』は高校入学から妻と結婚するまで(全一巻)、
『僕の小規模な生活』は結婚後、妻に支えられ漫画を描き現在(連載中)、
『うちの妻ってどうでしょう?』は仕事が入り始めた頃からの日常(連載中)、
といった感じのフィクションとは言いつつ自伝的な要素の強い漫画である。

現代版「まんが道」なんて形容されることも多い。

「売れない漫画家」が妻の収入に頼りながら、もがき苦しみ「まんが道」を歩む『僕の小規模な生活』の一巻がずば抜けて面白い。

何事にも屈折し卑屈で自虐的な主人公と、非常に個性的な妻との遣り取りとが秀逸である。

内向的で、自己愛に富み、自己完結的な閉鎖性を持った主人公は非常に現代的な若者像であり、対して妻の大らかさ、感情の起伏の激しさ、それと同時に夫を支える堅実さもあるいは極端に現代的な女性像の一つであり、この二人の一見幼稚でモロく、しかしすこぶる対等な不思議な関係性は、読んでいるだけでドキハラの連続、手に汗握るサスペンスなのである。

いや、自分で何言っているのか分からないな。

とにかく、面白いです○

おしまい





以下、ネタバレ注意報

しかし、当初は「売れない漫画家」であることが主人公の「駄目さ」の象徴であったのだが、実際に彼は売れっ子漫画家になってしまい、自然と『僕の小規模な生活』の中の主人公も売れっ子になってゆく。

これでこの漫画がツマラナクなる可能性を怖れていたわけだが、嬉しいことに、売れっ子になってからの彼の日常も相変わらずに面白いのである。(いや、この漫画をリアルに読んでいると、勿論、主人公が売れることを願って止まないわけなのだが、一読者からするとモーニングで連載している時点で売れっ子の域なのであり、つまりは読んだ時点では描かれていた日常は遥か過去と解釈していたのである)

そこでハタと気付く。

実は、この漫画の肝要は、主人公の(売れていないという)悲惨さではなく、主人公の内向的なキャラクター、あるいはその漫画表現にあるのである。

例えば、モーニング誌の次号予告のページなどにおいても、主人公(と妻)がスポークスマン的な役割を担ったりもするのは、彼らが愛されるキャラクターとして確立されている証に他ならない。

売れない、生活が辛い、妻に頭があがらないという状況から来る独特の心理状況や環境の面白味が、それまで作品を引っ張ってきた起爆剤であることには間違いが無いと思うのだが、他方で、それらを失っても何ら変わることの無い推進力が、福満しげゆきの漫画にはあるのである。

『僕の小規模な失敗』では、社会に適応も出来ない駄目な高校、大学、そしてフリーターとしての日常が大分自虐的で暗いトーンで描かれている。

しかし主人公は、せっせと漫画を描き、柔道部を創設し、多数のバイトをして、学校に編入したり、漫画を投稿し、ストーキングして、自分ことを客観的に分析できているし、ボクシングするし、漫画を出版社に持ち込みし、駆け落ちし、妻と結婚する。

俺などから見たら社会に適応しまくっているし、スーパーマンのような活躍ぶりである。

作者自身も言っているように自虐的なのは「性格の問題」であって、それとは裏腹な行動力には目を見張るものがある。



でだ、その辺りの特徴が『僕の小規模な生活』の漫画表現には見て取れる。

因に、この漫画家は、作品ごとでも作中でも絵のタッチが大分変わっていっている。

のだが、『僕の小規模な生活』で確立された特筆すべき描写は、主人公と妻が日ながら相対する漫画編集者や漫画関係者がほとんど、後ろ姿で描かれている点である。

他の登場人物でも、その多くが顔が描かれずに後ろ姿のみになる。

理由は色々と邪推出来るがそれはともかく、結果、主人公と妻がほとんどのコマに描かれることになり、同時に他の登場人物は没個性あるいは背景か狂言回しに過ぎず、漫画としては読者は常に主人公と相対する状態になり、さらに主人公の物凄く多い独白と相成り、これが独特の閉鎖性を生み出している。

そう、まさに『トゥールーマンショー』である。

この箱庭的な閉鎖性を漫画表現で持っていることこそが、主人公の内向的で、自己愛に富み、自己完結的な閉鎖性を生み出しており、福満しげゆきの漫画が持つ現代的な自虐性の表れである、と俺は思ったりする。

だから、彼の漫画の主人公は、どんなに売れようが人気があろうが、屈折して卑屈であることが出来る。

ハッキリ言って、そこに物凄く共感しちゃう。

というよりもシツコク言ってはいるが、現代の本質の一面だと思う。



そういった社会的にも鋭い視座を内包しつつ、彼の漫画がゲラゲラと笑える大らかさを失わないのは、一点、妻の存在であろうか。

であるから、『僕の小規模な失敗』で結婚した後の『僕の小規模な生活』が上記のような漫画表現を獲得したのも、妻と暮らすことでまさに二人だけの空間、箱庭を獲得したからと言えるのかもしれない。

これまた、現代的である。

いや、現代を通り越したメルヘンのようですらある。

まるで『ミニーとモスコウィッツ』である。

素敵だ。

そんなわけで、現代や社会という荒波にこの小さな箱船が呑み込まれてしまわないないよう、主人公と妻が幾久しく幸多からんことを願って止まないのであり、これからも刮目の上で注視していく所存なのである。
posted by 井川広太郎 at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする
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