2008年11月30日

せめて涙がこぼれてしまえばいいのに

泉常夫さんが急逝した。

友人だったとか言うと、どうもしっくりこない。
彼はプロデューサーであり、映画監督であり、演出家でもあったらしいのだが、どれも胡散臭い。
夫であり、父であったようだが、とてもそんな立派な人には見えない。
いつもヘラヘラ笑ってる、ふざけたおっさん。
俺にとっては、イズミさんはイズミさんでしかない。

ほんの一週間前にも会う機会があった。
俺が勧めた登山漫画をようやく読んだと、登山が趣味のイズミさんが感想を聞かせてくれた。
「やっぱ登山やってるならエヴェレストの氷壁を登らないと」と俺が冗談を言うと、「いや、まだそれは無理」とイズミさんは真顔で答えた。
続けて「だったらコータロー、おまえやってみろよ!」と笑ってた。
それからは、例によって下らない話ばかりしていた。
もっと、生きているうちに話さなきゃいけないことがあったのにと、いつも後になってから気付く。

45歳という若さで亡くなったのは、あまりにも惜しいが、しかし45歳だったのかと改めて驚く。
映画をものすごく沢山観ていてとても詳しく、いい映画の趣味をしていた。
とくにカサヴェテスについては、お互いに大好きなので、何度も何度も色々と話した。
そんなイズミさんが俺の映画を高く評価してくれた時は、本当に嬉しかったな。
生意気ついでに俺が「俺の映画の方がイズミさんの映画よりもカサヴェテス的だ」と言うと、「そうかもしれんが、妻がいて子供がいる俺の方がオマエよりカサヴェテスに近い」と威張って返してきた。

27日の朝に亡くなって、その日の午後に一報が届いたのだけれど、全く実感が沸かなかった。
あまりにも突然のことでにわかには信じられなかったけど、嘘だ、冗談だ、間違いだとかいうのではなく、イズミさんのことだから「おおー、悪い悪い、やっぱ死んでなかったわ」とかヘラヘラ笑って起き上がって、皆を驚かせてくれるような、そんな気がしていた。
28日の午後になって告別式の日取りが報され、愕然とした。
本当に死んだのかと衝撃を受けて、感極まった。
告別なんかしたくないと思ったが、イズミさんにもう一回会っておきたいとも素直に思ったし、自分でちゃんと確かめたかった。
そして今日、告別式だったのだが、色んな感情が溢れ出て来てそれはとっくに臨界点など越えていたのだが、俺は泣くことは無かった。
別れの挨拶をすれば、死に顔を見れば、霊柩車を見送れば、いつか泣いてしまうのではと思っていたが、結局、俺は泣けやしなかった。

「おい! コータロー! オマエはいい歳こいて人前で泣くのか! 恥ずかしい奴だなあ」とイズミさんに馬鹿にされるのが嫌だったわけではない。
むしろ、あんなインチキなおっさんの冷やかしなど、どうでもいいのである。
どうでもいい。
「泣くのがいいとか悪いとか、そういうことじゃないだろう! いい歳こいてそんなことも分からないのか!」と、言い返したい。

告別式には斎場に収まり切らないほど多くの人が参列していた。
葬式とはいつも不思議なもので、誰かの死が縁になって旧交を温めたり、再会したり、また何か新しいことが始まったりする。
終わるなんてことは無く、むしろ広がり繋がっていく。
失うことでしか学べないとしたら愚かしいにもほどがあるのだが、それでもそういった機会を大事にすることがいま我々に出来ることなのだとも思う。

しかし俺は、物凄く悲しくて、とてつもなく寂しくて、非常に辛い。
イズミさんが死んで悲しくて寂しいし、そもそもずっと前から悲しくて、寂しいってことも思い出した。
だから、泣けば何かが救われるような気がしていた。


イズミさん、俺は想うよ。

想う。
posted by 井川広太郎 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする
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