2009年02月03日

書道は良い。
何が良いってカッコイイ。
表意文字とさらに表音文字、併せて数万の文字を持つ言語を母語に生まれて、書をしないなんて勿体が無いとすら思う。
いや、俺はまだ書を始めた訳じゃないんだけどさ。

子供の頃、大人が書にハマっていたりするのを見たり聞いたりする度に、なんであんなものに熱中するんだろうかと俺は思っていた。
いまは断じて分かる。
書は良い。
誰にでも簡単に出来るのが、また、すごく良い。
今なら、書には宇宙があるとか言われても断然信じちゃう。

PCやらケータイやらで文字を間接的に書いたり読んだり見たりする割合が決定的に高まったことも、近年の書のブームの要因なのだろうか。
ほんのちょっとで見た目が大きく変わるフォントや、未だに機械では判別が難しい文字の画像認証なんかで、感覚的にも文字の奥深さを知り、それで書の世界に興味を持つようになるのかもしれない。

書には、意味や音だけではなく、それらを成立させる為のデザイン、記号論、言語論、コンセンサス、ギャップなどなど、ありとあらゆる社会性と芸術が詰まっている。ような気がする。
よく分からないんだけど、いつか書に行き着くような気がするし、趣味として始めたら一生やり続けちゃうだろう魅力が渦巻いている。

『とめはねっ! 鈴里高校書道部』という河合克敏の漫画がビッグコミックスピリッツで連載中であるが、これも中々面白い。
全く書道の経験がない帰国子女の主人公が、ひょんなことから廃部寸前の書道部に唯一の男子部員として入り、だんだんと書道の魅力にハマっていくというスポコン的なストーリーで文化部的なコメディなのだが、書道の実際をノウハウ的に学んでいく過程と、恋愛やら対決やら青春ストーリーがマッチしている。
これなんか映画原作に向いてるんじゃないかなあ。

書は、書き上がったものと同様に、書くという過程がまた美しく、極めて映画的だったりする。
文字を書く(描く)というシーンやカットは、それこそ言語や時代や文化を越えて無数にあり、どれも必然的に素晴らしく美しいのなのだが、その中でも書の格好良さと言ったらまた格別である。
アルファベットしか知らない外人でもあれだけ漢字というデザインを好んでいるわけだから、その過程、漢字を書くという姿を目撃したら、誰でもそりゃあ興奮するに決まってる。
うおおお!なんか意味分からないけど、物凄くカッコいい!みたいな。
それこそ表意文字の底力が発揮されまくるのである。
書道そのものをテーマにしたもっとポップな映画とか、もっといっぱいあってもいいと思う。

書道家もカッコイイ。
和服でいかにも哲学者っぽい髭のジジイもカッコいいし、一見すると普通なのだがサッと懐から書道具を取り出す女流書道家なんてのもカッコいいし、それはないべ!みたいなバカデカイ筆を背負っているのもカッコイイ。
そういえば、リー・リンチェイの『阿羅漢』の書道対決のシーンとか、軽く20年は観ていないはずだけどいまフッと思い出した。
馬鹿馬鹿しくてカッコ良かったなあ。
ああいうの、良いな。

そんなこんなで、ここでササッと書を書いて画像を添付してみせたりしてみせたら、カッコいいのになあ。と思う。
それこそ、毎日、書を一筆書いているblogとかありそうだ。

俺も、書きたい。
posted by 井川広太郎 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック