2006年01月19日

肩が痛いよ、アルバート。

右肩が痛い。ゴリゴリ鳴る。
いつも鳴るんだけど、いまは痛いの。

あと右腕の腱も痛い。

明日ロケなんだけどな。困ったな。

タフというよりいい加減そのもののような俺の肉体だが、何気に繊細な面も持ち合わせている。
撮影の時は、ちょっとしたブレも許されない正確さと早さと持久力が必要だし、何より集中力に支障を来すんで結構気を使う。
それでも、まあ、人よりは適当な方だとは思うが。

で、そんな俺の肩が痛いっつーのは甚だ遺憾。

原因は明確だ。PC。

家にいる時は飯を食っているか新聞か漫画を読んでいるか、あるいは風呂かトイレの時以外は、基本的にPCの前にいる。

編集は勿論だけど、それ以外にもネットやメールなど、仕事をする上でも無いと生きて行けない。

元来、記憶力が悪い俺は、ちょっとしたことも覚えられないし、そのくせ好奇心が旺盛なので知らないことは直ぐに調べないと気が済まない。
脳味噌の半分(記憶や記録)はPCに委ねていると言っても過言ではない。

(ネットに繋がった)PCの無い生活なんて考えられない。


で、今日は喪失感のお話。


俺がPCを使うようになったのなんて、大学生になってからだ。さらに本格的に使うようになったのは、ここ数年。しかし、最早、PCが無い生活なんて想像出来ない。

ケータイだってまだ、人生の3分の1しか使っていないのに、ケータイ無しじゃ待ち合わせもろくに出来なくなっている。

それまで無かったものに出会い、それに触れ、そしてそれに依存する。

なんつーのか、その出会いが新しい概念や価値観や行動、要するに生活を生み出して、それは言わば、それまでとは違う新しい自分で、決して元に戻ることなんて出来やしない。

仮にPCやケータイを捨てても、そういった“不自由さ”を味わうだけで、仮にその“不自由さ”に慣れたとしても、それは慣れただけであって体験した事実は消える訳じゃないし、概念としてのPCやケータイが無くなる訳じゃない。

そう、無くなる訳じゃないんだ。

家族も、友達も、恋人も、出会うまでは素知らぬ空の下、例え街ですれ違っても気にすることも無かったのに、出会い分かち合った瞬間に“何かがどこからか生まれ”、そしてそれは“どこにも行かずに在り続ける”。

人生とは言わば、そういった瞬間の集体であって、それは日々革新であって、常に成長し、変化し、一時だって忘れ得ない獲得と後悔の連蔵なのである。

ってゆーか、忘れられるわけないだろっ!馬鹿っ!


子供の頃から、一度生まれた感情は、一体どこに行くのか、気になって仕方が無かった。だけど今は、それにハッキリと自分のこの身体で応えることが出来るな。

だって、君!この文章を打っているのは、痛みに苦しむ俺の両腕なんだぜ!

多分ね。
posted by 井川広太郎 at 00:40| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>子供の頃から、一度生まれた感情は、一体どこに行くのか、
めぐりめぐってまた俺のとこに帰ってくるんだよ、アルバート。

肩どころか腰も痛いよ、アル。

うん、笑うところだよ。
Posted by 泉 at 2006年01月19日 04:19
>泉さん
巡るんすか?
巡るのだとしたら、どこをどう巡って俺の元に帰って来たのか聞いてみたい。
恐らく、ドキがムネムネするようなめくるめく大冒険に違いない。
Posted by 井川広太郎 at 2006年01月20日 01:04
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