2005年05月06日

一言で言えば「寂しい」ということだな。

「東京失格」がなかなか進まない。

俺の人生を賭けた作品だから、様々な要素を熟慮して、最適な環境で創らないと意味がないし、その為に十分な準備が必要だ。

と頭では分かっていても、身体と心が焦る。落ち付け!と言い聞かせながら、激しく焦燥な日々。


映画を撮る時に一番重要なのは心だと思う。俺達みたいな技術も低く、機材もショボイ、チンケナINDEPENDENT映画が、それでも世界に誇れるのは、心だ。現場にいるとき、完全に映画の気持ちになるし、そうでなきゃいけない。いまは、その気持ちに近付いていっている時期なのかもしれないな。

で、脳味噌が益々「東京失格」化している所為か、極めて後向きなことを考える。ネガティブという意味じゃなくて、過去とか過去の自分とかに思いを馳せている感じ。思い出とは、ちょっと違う。

いま俺がいるのは、過去に過ごした時間や環境や多くの人々との関係があるからであって、そういったものが血となり肉となり今の俺を形成している訳だ。

どん臭く無力で無能な俺が無理してでも、前に進もう!と決意した瞬間に、そういった物事を捨てて、つまりは後を向かずに、敢えて前へ前へで猛進(盲信?)して来たわけだが、最近になってやっと、振り返ったりしている。

帰省した。神奈川の田舎は、風景も音も風も匂いも、東京とは全く違っていて、心の中の眠っていた部分を物凄く刺激された。ああ、俺はここに居たのだなと思い出した。

ここにいたら、俺は恐らく映画を撮れなくなる。少なくともいま「東京失格」を撮ることは出来なくなる。その絶望的な恐怖感を知った上で、ここで当たり前に暮すことに猛烈に魅力を感じている自分に対して、生まれて初めて素直になった。なので泣いた。

行きの電車の中で、生まれてから15歳まで過ごした駅を通り過ぎたのだが、駅前の景色が全く変わっていて驚いた。心の問題もあって、東京への帰りにその駅に10年ぶりぐらいに降り立った。

田舎町は、相変わらず田舎町であった。駅前の世界的な大工場は閉鎖され、巨大な砂地が眼前に広がっていた。申し訳程度に作った小さなショッピングモールの中は、東京では信じられないほどの密度で寒々しい。

駅の改札へと続くスロープを下っていくと、自分の身体が大きくなったことに気付く。外壁の高さ(の認識)が明かに違う。駅から旧住所までの道程が、こんなに短かったのかと驚く。自分が15年間過ごした街を一周してみた。全く変わらない景色もあれば、跡形も無くなった景色も沢山あった。ただ、音や風や匂いは、昔のままであった。

俺は映画を撮る為に、東京行きの電車に乗った。狭い駅のホームでは10分間も待たされた。動き出した電車の中から、小学生の頃好きだった女の子が男と手を繋いでホームを歩いているのが見えた。

10年ぶりに見た彼女を俺は、一瞬で識別出来た。恐らく彼女は、名乗っても俺だと気付かなかったであろう。それぐらい、俺は変わっちまった。

幼児の頃、小学生の頃、中学生の頃、大学生の頃、いつでもいいから、昔の俺を知っている人と話したい。俺はどんな奴であったのか、聞きたい。

やさぐれて小学校の同窓会に行かなかったことを、いまは物凄く後悔している。

思い出とか、記憶とか、何でも良いから、いまの俺を創った物事、そして人に感謝して、それらについてもっと知りたいと思った。

ああ、それがベラ・バラージュの言っていたことかもしれない。

「遠くにあり、遠くにあり続けるものは全て、ロマンチックである」

今なら、彼等と仲良く酒を呑んで、楽しく話せる気がする。もう出会うことはないのだろうか。そういう業を背負って俺は生きていかなきゃならんのなら、そんなの寂し過ぎる。

やっぱ俺なんて、「東京失格」だな。
posted by 井川広太郎 at 14:19| 東京 ☁| Comment(6) | TrackBack(1) | lost in blog | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今どこへ向かって前に進めばよいか悩んでるサワダです。
ものすごく共感できたりするんですが、俺も「東京失格」なんですかねぇ?
Posted by サワダ at 2005年05月06日 18:51
映画を一緒に撮るって、共感するってことだと俺は信じてる。
言って欲しい?なら言ってやる!

「お前なんか、東京失格だよ!」

だから一緒に映画撮ろうぜ!
Posted by 井川広太郎 at 2005年05月06日 19:00
期待どうりのコメント。
ご馳走様です。
Posted by サワダ at 2005年05月06日 22:24
失格くんは東京へ東京失格が環境みたいな熟慮するつもりだった。
Posted by BlogPetの「失格くん」 at 2005年05月08日 12:31
今の君にある詩人の言葉を捧げよう。

「目覚めの瞬間と別れの瞬間は人生の幸福である」

10年前、詩人はこの言葉を吐きながら、破壊と忘却と記憶と再生のため、自らにカメラを向け続けた。
その後も、常にこの言葉がスイッチになり、数々の作品を生み出している。

東京失格。

何か似てる匂いがあると思う。
Posted by タクン at 2005年05月09日 02:39
>サワダ
お粗末様でした。

>失格くん
意味わかんないけど、なんか物凄く深いことを言っている気がする。

>タクン
自分にとって大切な、言わば「信じる言葉」ってあるよね。
本文にあるベラ・バラージュの言葉は彼が書いた「映画の精神」という本の中で、“ロマンチックであること”を否定的に評して使われているのだが、俺が映画撮るようになってからずっと引っ掛かっている言葉。
なんか呪われている感じ。
Posted by 井川広太郎 at 2005年05月09日 11:09
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Tracked: 2005-05-09 03:11