2016年07月21日

夢の中の風景

98年のことだから、もう18年も前になる。
僕は、とある自主映画団体の設立に関わっていた。

団体と言っても映画制作をするわけではなく、僕のような学生など若い自主映画の作家たちがそれぞれの作品を持ち寄ってソフト化したり、上映会をしたりする組織であった。

当時はまだ、自主映画を上映する機会は限られていて、ネットで映像を流すなんて夢のまた夢といった時代であった。
SNSも無かったけど、ウェブサイトの掲示板などを使って仲間を募り、ネットワークを築いていくことは可能になっていた。

技術革新し映画を巡る環境もグッと良くなった今となっては、ほんの小さな規模の活動であった。
とはいえ色々と大変で難しいことも多かったが、その活動から得たものは少なくなかったし、なにより素晴らしく魅力的な人たちに出会えた。

特に、一緒に上映した作家の中に、白川幸司と金子雅和という、驚くべき才能の持ち主がいた。
まだ、ほとんど映画を撮ったことすらないのに若さゆえの生意気さ(それは今でも変わらないけど)をギンギンに放っていた僕には、眼が覚めるような衝撃であった。

96年にSONYからVX1000というデジタルビデオカメラが発売され、パソコンを使った映像編集も広まり、デジタル映画の可能性が飛躍的に拡大することで僕のようなお気軽な自主映画作家が大量に出てきた。
しかし、金子さんも白川も、当時でも既に時代遅れになりかけていた8mmフィルムで撮っていた。
彼らの作品は、他の作家の「気軽さ」とは一線を画し、映像を撮ることや作品を創ることの重みがあって、作り手の熱い思いが観る者にも伝わってくるようであった。
こんなに力強い作品があるのかと、心底驚かされた。

その団体は間も無く離れたが、その後も一緒に活動する人もいたし、そうでない人もお互いの作品の発表するごとに活躍を知ったりと、刺激を与え合う関係でいられた。
そして奇しくも現在、白川は10数年ぶりの新作映画「ようこそ、美の教室へ」がまもなく完成するらしく、一足先に金子さんの新作映画「アルビノの木」がテアトル新宿で公開されている。

当時から金子さんは、山の中というか秘境というか、見たこともないような景色を探してきて、ハッとするほど美しい映像を撮ってみせる。
彼の実景には物語性があって、実際、初期の作品はほとんど人間が映らないのに不思議とストーリーを感じた。
「アルビノの木」でも類稀なるロケハン力が遺憾なく発揮され、また同時に、そんな映像だからこそ、自然と人間の共生あるいは関係性を問うというテーマ性も強く打ち出されている。
カメラはフィルムではなくなっても、景色だけではなく役者をも美しく撮ってみせる本作では継続と進化を感じずにはいられない。
18年経っても変わっていないのは、他の誰にも撮れない、金子さんらしい映画を創り続けているという確信的な力強さであった。

posted by 井川広太郎 at 11:12| Comment(0) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする
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