2018年04月22日

四月の永い夢

『四月の永い夢』(2017年/配給ギャガ・プラス/93分)



監督:中川龍太郎
製作総指揮:石川俊一郎, 木ノ内輝
出演:朝倉あき 三浦貴大 川崎ゆり子 高橋由美子 青柳文子 志賀廣太郎 高橋惠子

公式サイト http://tokyonewcinema.com/works/summer-blooms/
5月12日(土) 新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー


いまは亡き恋人からの手紙を受け取ったことで、揺れる女の心情を繊細に描く

この映画の舞台は国立市。僕にとっては学生時代を過ごした特別に思い入れのある街なので最初、この映画の構想を監督の中川君から聞いた時には「国立の映画を撮るなんて君には無理だ」と生意気なことを言ってしまった。
ところがどうだろう、完成した作品は見事な国立映画であった。脱帽である。

国立には良くも悪くも閉じた雰囲気があって、外界から切り離され守られているような独特の安心感があり、この映画はそういった国立の空気感を見事に捉えつつ、物語に昇華している。
出て行けそうで出て行けない、例えるなら、まだ冷える春の朝に布団に包まってグズっているような感じか。
そんな温もりに甘えてしまうようなモラトリアムは、誰にでも心当たりがあるはずだ。

そういった社会性に敏感なせいか中川君は、公衆浴場を愛し劇中でも度々使うが、本作ではさらにラジオを巧みに使っている。
ラジオは仕事や家事や移動中など、どこかで何かしながらでも聞くことができるためか聴取者それぞれの生活に馴染んでいて、生放送かつ葉書を紹介したりとインタラクティブな面もあって一体感や共有感が高い。
メジャーなものからマイナーなものまで様々な曲が流れるが、どんな曲もいまどこかで誰かが一緒に聴いているという安心感があるのだ。

であるから、ラジオを愛するヒロインが夜道で、ポータブルオーディオプレイヤーのイヤホンを耳に刺し、密かに音源で音楽を聴いて悦にいるというシーンは、なんとも甘美な背徳感に満ちている。
この曲をいま聴いているのは世界で自分独りであるという優越感、この曲はわたしだけのものなのだという独占欲、他の何も耳には入らないという自己満足、それらが禁を犯した罰でもあるかのように過去の過ちを思い出させるというのは、なんとも象徴的である。

楽しんで良いのか幸せになって良いのか、愚問のようなしかし誠実な戸惑いは、その罪悪感に蝕まれた告白に耳を傾けてくれる人を必要としていた。
ラジオのDJに懺悔の葉書を書いたのも、きっと同じ気持ちであったのだ。

主演の朝倉あきがなんとも見事。
鮮やかな情景を纏いながら瑞々しい感情を湛える映画女優を、心地よい移動撮影と躍動感にあふれた切り返しで存分に捉えた名作だ。
posted by 井川広太郎 at 12:25| Comment(0) | REVIEW | 更新情報をチェックする
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