2008年03月19日

言語と音楽

さて、以前から俺は、言語と音楽には相通じるものがある、というより本質的に同じことなのではないだろうか、と考えている。

これはいま構想中の映画『Lost in Seoul』の重要なテーマの一つでもある。

ので長らく常々考察中なのだが、この度ちょっくらまとめて書こうかしらと色々と考えたり、調べたり、文章化したりしているうちに、例のごとく物凄く長くひっちゃかめっちゃかになってしまったので、さっくりと短めに書いてみます。


最初はね、学生時代に『言語論』という実験映画を撮っていた時。

30分ほどの短編の中盤に、バンドの練習風景を入れようと思っていたのだが、そのシーンを即興で撮っている最中に「まさにこれこそが言語論じゃん!」と気付き、結局それをラストシーンにした。

その時の発見が『東京失格』のバンドの練習シーンに繋がっていったのであるが、要は、バンドメンバー同志の、音と音で語り合うというような、目と目で通じ合うというような、阿吽の呼吸の非言語的なコミュニケーションこそ、あるいは寧ろ、よっぽど言語的であるなあと嫉妬したわけです。


それからもぼんやりと考えているうちに、音楽を好きな人には言語能力が高い人が多いと気付いた。

いや直感的に、自分の周りの友人達を見ていると、音楽の才能(なりセンス)があるやつは、言語の才能(なりセンス)もあるやつだったりすることが物凄く多いので、言語と音楽には何らかの共通項があるのではないかと思ったわけだ。

ここでいう才能なりセンスっていうのはもちろん決定的な類ではなくて、才能やセンスが無い人間だって努力や環境や時間によって幾らでも成長したりや学習したりや身につけることは出来るのであるが、同じくそうするとしても圧倒的に時間が短くて済んだり、モチベーションが非常に高かったり、他の人が感じるであろうボーダーをものともせずにいられるような、そういう類のことである。

例えば、数年の間に複数の言語をマスターしてしまうやつとか。

本人は物凄く努力をしたのかもしれないが、そういった努力を出来るというだけで才能だし、何より実現可能と思えるからこそのモチベーションだろうし、いずれにしろ一般的な解釈でいえば圧倒的に早い。

中学、高校、大学と10年間も英語を学んでもろくに話せない俺からすると、まるで化け物である。

で、俺の周りにいるそういった連中はかなり高い確率で、音楽のセンスが(聴く方でも、演奏する方でも)抜きん出て高かったりする。

俺は言語と音楽の才能とセンスが極端に無いので、逆にその辺に敏感なのかもしれん。

ともかく、こりゃあなんか絶対に関係があるよ、と俺は思っているわけだ。


英語の歌が世界中に広まっているせいもあってか、国を問わずミュージシャンは英語に堪能なことが多い。

どちらかと言えば話し言葉である英語と音楽は相性が良く、あるいはどちらかと言えば書き言葉である日本語は、また違うのかもしれない。

いずれにしろ、音を使ったコミュニケーションであるという大枠を踏まえつつ、言語と音楽の関連性は大変に興味深い。

という感じで、ひっちゃかめっちゃかな文章の最後に魔法のおまじないをかけて終わる。

つづく
posted by 井川広太郎 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | lost in blog | 更新情報をチェックする
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